古本屋の殴り書き

書評と雑文

ノ・ジェスの縁起論/『宇宙一美しい奇跡の数式 0=∞=1』ノ・ジェス

『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ

 ・ノ・ジェスの縁起論

・『心感覚(シンかんかく)』ノ・ジェス
・『Personal Universe 心半導体への進化』ノ・ジェス
・『これからの生き方 BEST BEING』ノ・ジェス

悟りとは
必読書リスト その五

 本書タイトルだが、奥付は『宇宙一美しい奇跡の数式』となっているが背表紙と表紙に倣(なら)った。ま、きこ書房ホームページすら表示できなくなっているような出版社なので致し方ないか。校正も甘い。

 ノ・ジェス(盧在洙)は韓国で日本人女性と結婚し、1995年に来日。武術家と起業家の顔を持つ。日本に来た後、全てを失い、辛酸を嘗(な)め尽くす中で悟りを開いた。もともと武術の修行で一瞥(いちべつ)体験をしていたという。悟りから導き出した数式が「0=∞(無限大)=1」である。量子論宇宙論の知識が正確で(数学は我田引水)、メンタル次元に限定しがちな認識論をかなり広い視野で捉えている。

ノ・ジェス●【人生は、質問の質、問題意識の質で決定されてしまっている】、ということですね。
 どうやったら時給1000円のアルバイトにつけるだろう? という質問を出発にすれば、その答えを探して、そのアルバイトをはじめて、その人生になります。
 でも、どうやったら年収1000万円取れるだろう? という質問を出発にすれば、アルバイトはまずやらないはずです。その答えを求めて人に会ったり、勉強したり、起業したり、いろいろするでしょう。そしてその人生に向かっていくのです。
 これはあくまで例えですけど、どんな質問、どんな問題意識を持つのかということは、より良い生き方をするために絶対必要なことなんです。

【『宇宙一美しい奇跡の数式 0=∞=1』ノ・ジェス(きこ書房、2016年)以下同】

 同じ歩く動作であっても散歩とエベレスト踏破の違いを思う。同じ人生でも質と量(長さ)には懸隔がある。ノ・ジェスは意図的に収入の例えを持ち出したのだろう。資本主義世界における成功は生涯賃金で人生を測(はか)る。私にとって貧乏は悪なのだ。こうしてラットレースが始まる。

ノ・ジェス●大前提として、【古今東西の歴史で真実を探究した人は皆、人間にとって、「無」の世界になにか重要な鍵が、秘密があるのだ、ということを言っている】んです。
 いままでの常識や日常の問題意識からすると、いきなり飛躍する感じがあるかもしれませんが、まずはイメージを大きく広げていきましょう。
 たとえば、【ソクラテスは「無知」を知る】こと、と言っています。自分がほんとうに正しく知っていることなど、じつはひとつもないのだと。
【釈迦】は、【「無我」】、わたしはない、と言いました。また、【「無常」】とも言いました。固定したものはなく、つねに動きだけがあると。
【老師】は、【「無為」】と言っています。やっているけどやっていない。見ているけど見ていない。聞いているけど聞いていない。わたし、なにもやってないよ、と。(中略)
 わたしは小さい頃から侍が大好きでしたけど、【「無念」「無想」】とも言うでしょう。それと日本の剣の道の究極は、【宮本武蔵】の【「無刀」の心】です。(中略)
【宇宙物理学では、137~138億年前、宇宙創成の瞬間のその前の世界では、「無からの宇宙創成」ということを考えざるをえない。】

 もう一つ付け加えるならば、近代西洋に衝撃を与えたのはジークムント・フロイト(1856-1939年)が発見した「無意識」であった。ま、インドでは数千年前から判っていたことだが。

「無」とは目に見えない世界のことだ。世界中に宗教があるのは、社会を成り立たせている根底に死者の存在を感じているためだ。人間にとっては全ての死者が先祖である。それを進化的にさかのぼれば、動物や植物には精霊が棲(す)み、山が神となることに不思議はない。

 ノ・ジェスは認識論を掘り下げ、「現実」を成り立たせている認識の3つの要素として、「認識の主体」「認識の客体」「認識の背景」を挙げる。そして、「現実とはなにか?」と質問者に問いかけ、「そもそもリンゴとはなにか?」と突っ込む。

 リンゴは分子の集まりである。

ノ・ジェス●質問です。【分子とは、なんですか?】

(中略)

ノ・ジェス●じゃあ、分子は実在していると言えると思いますか?

質問者●実在……? 分子はたしかにありますよ。分子を研究したり、応用したりしている人が世界中にいますから。でも、実在って……?

ノ・ジェス●そう、分子という存在も、もちろんあるにはあります。しかし、分子を分けたらその基本単位が原子だということは、分子は実在しているのではなく、その条件だからそのような特徴を持っているという、【「条件づけられた存在」】にすぎない。
 つまり、条件によっては分子と呼ばれ、そのように認識しているけれど、条件が変わってしまえば分子ではなく原子になってしまう。だったら【分子は絶対にあるものではない。条件によって変わってしまうのなら、それは相対的な存在にすぎません。】
 条件によって変化してしまう相対世界と、どんな条件でも永遠不変に変化しない絶対世界、存在と実在、の違いだと理解してみてください。

 ノ・ジェスの縁起論といってよい。卓見だ。「条件によって生と現れ」があり、「条件によって私が存在する」のだろう。その本質は「変化」であって、あらゆるものが結局消えてしまう。それを古人は「いとをかし」と詠(よ)み、「もののあはれ」と表現したのだ。

 E=mc²で考えてみよう。エネルギー(E)と質量(m)の等価性を表した式である。cは光速だ。質量は「目に見えるもの」だ。一方、エネルギーは「目に見えない」。つまりこれは「色即是空 空即是色」を表しているとも考えられよう――などと思っていたら、ちゃんとその後に書いてあったよ(笑)。

 宇宙の本質は「動き(振動)である」とノ・ジェスは説く。これは新しい。今までにない見解である。