・『我が心はICにあらず』小田嶋隆
・『安全太郎の夜』小田嶋隆
・『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆
・極端な定型化が笑いを誘う
・貧しい肩書
・『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
・『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
・『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
・『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
・『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
・『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆
・『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
・『テレビ標本箱』小田嶋隆
・『テレビ救急箱』小田嶋隆
世の中には「誰それの息子」でしかない人間とか、「どこどこ大学卒」以上でも以下でもない人間みたいなものがたくさんいる。
本日小田嶋隆送別会が終了致しました。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) July 2, 2022
今までどうもありがとうございました。
本人のTwitter・ブログ等はこのまま残しておく予定です。
よろしくよろしく。
6月24日、小田嶋隆が逝去した。私はtwitterのタイムラインで知った。心の中を風が吹いた。その文体は昭和軽薄体と謳われた椎名誠以上の影響力があった。鋭さや毒の強さを薄めるセンスが抜きん出ていた。言わばサブカル界の青汁みたいな存在であった。
内田樹〈うちだ・たつる〉や平川克美〈ひらかわ・かつみ〉あたりに担がれるようになってからは(『9条どうでしょう』毎日新聞社、2006年)リベラル色が濃くなり、そのまま左側に流されていった――と考えてきたのだが、元々リベラル傾向は垣間見えた。私が気づかなかったのは私自身もまたリベラルであったためか。
炸裂する駄洒落の秀逸さもさることながら、町やスポーツを綴らせると右に出る者はいないと思わせるほど巧みであった。経済センスも優れていた。メインストリームから外れた位置で嘲笑するのがオダジマンのスタイルだった。その意味で小田嶋のコラムは狂歌に通じている。
合掌。