古本屋の殴り書き

書評と雑文

貧しい肩書/『山手線膝栗毛』小田嶋隆

『我が心はICにあらず』小田嶋隆
『安全太郎の夜』小田嶋隆
『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆

 ・極端な定型化が笑いを誘う
 ・貧しい肩書

『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆
『コンピュータ妄語録』小田嶋隆
『「ふへ」の国から ことばの解体新書』小田嶋隆
『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』小田嶋隆
『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ』小田嶋隆
『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆
『イン・ヒズ・オウン・サイト ネット巌窟王の電脳日記ワールド』小田嶋隆
『テレビ標本箱』小田嶋隆
『テレビ救急箱』小田嶋隆

 世の中には「誰それの息子」でしかない人間とか、「どこどこ大学卒」以上でも以下でもない人間みたいなものがたくさんいる。


【『山手線膝栗毛』小田嶋隆〈おだじま・たかし〉(ジャストシステム、1993年)】

 6月24日、小田嶋隆が逝去した。私はtwitterのタイムラインで知った。心の中を風が吹いた。その文体は昭和軽薄体と謳われた椎名誠以上の影響力があった。鋭さや毒の強さを薄めるセンスが抜きん出ていた。言わばサブカル界の青汁みたいな存在であった。

 内田樹〈うちだ・たつる〉や平川克美〈ひらかわ・かつみ〉あたりに担がれるようになってからは(『9条どうでしょう毎日新聞社、2006年)リベラル色が濃くなり、そのまま左側に流されていった――と考えてきたのだが、元々リベラル傾向は垣間見えた。私が気づかなかったのは私自身もまたリベラルであったためか。

 炸裂する駄洒落の秀逸さもさることながら、町やスポーツを綴らせると右に出る者はいないと思わせるほど巧みであった。経済センスも優れていた。メインストリームから外れた位置で嘲笑するのがオダジマンのスタイルだった。その意味で小田嶋のコラムは狂歌に通じている。

 合掌。