古本屋の殴り書き

書評と雑文

焦点を緩めて見る/『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド

『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド

 ・焦点を緩めて見る
 ・宇宙意識

『植物のスピリット・メディスン 植物のもつヒーリングの叡智への旅』エリオット・コーワン

インディアン

悟りとは

「見ろ。焦点を緩めて見ろ」

 そこに何かが見えた。ボヤけた視点ながら、ほんの微かに輝いている何かが彼女の皮膚の7~8センチ上にはっきりと見え、まるで肉体から光輝く塊が浮き出ているようだった。私はボカした視点を維持しなければならなかった。背骨の下から無意識にゾクゾクした感覚が立ち上ってくるのを感じた。

【『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド:カミムラ マリコ訳(ナチュラルスピリット、2023年)】

 少し前から「湖面になったつもりで世界を見ること」を意識した。目の焦点を合わさず、ただ瞳に世界が映るような感覚だ。焦点を合わせる(集中する)と、物と私の直線的な関係に陥ってしまう。

 元々クルマの運転をする時も周辺視野を意識してきた。一点に集中すると周りが見えなくなる。不測の事態に対応するためには、集中よりも注意が必要で、焦点をボカした方がよい。

「焦点を緩めて見ろ」の一言に意を強くした。女性宣教師の死を看取る場面である。

 眼が二つあるのは距離を測るためである。耳が二つあるのは方角を知るためだ。焦点を緩めれば距離は消える。

 実は視覚はそれほど詳細に見えているわけではないことがわかっている。実際は脳で補正し編集しているのだ。そもそも人間の知覚は限られた領域の情報を受け取っているだけで、世界をありのままに見ているわけではない。眼は360~830ナノメートルの範囲の可視光線しか見ることができないし、耳の可聴域は20~20,000Hzに限られる。ひょっとすると我々に見えているのは世界の影程度かもしれない。

 今までナチュラルスピリット社に誤字が多い印象はなかったが、序盤で二つ見つけた。

「年齢はまったく検討がつかない」(36ページ)➡見当
「突発的な暖和や鎮静」(46ページ)➡緩和

 直ちに校正者をクビにするべきだ。誤った言葉が世の中を混乱させる。孔子の「名を正す」を思え。