古本屋の殴り書き

書評と雑文

植物に尋ねる/『植物のスピリット・メディスン 植物のもつヒーリングの叡智への旅』エリオット・コーワン

『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド
『シャーマン・ヒーラー・賢者 南米のエネルギー・メディスンが教える自分と他人を癒す方法』アルベルト・ヴィロルド

 ・植物に尋ねる
 ・私たちには植物が必要だが、植物の方は私たちを必要としない

・『アナスタシア』ウラジーミル・メグレ

インディアン

悟りとは

【それ以前には一度も自分でフェンスの支柱用の木を切ったことはなかったが、今度は何とか自分でやれると思っていた。どんなふうにやりたいのか? もし私がこの湿地で育っている木だとしたら、どんなふうにしてもらいたいだろう?
 私は一番近くのシダーに向かって、どうやって支柱用の木を切ればよいのかを尋ねた。もちろん答えを期待していたのでも、答えをもらったわけでもなかった。それとももらったのだろうか?
 ともかく、どんなふうに木を切り出すか、そのときには完璧に明白になっていた。それぞれの木立の混み合っているところから幹を1本選ぶ。その幹を慎重に切り出し、枝を払い、切り株の上に払った枝を重ねていく。そうすれば1本の木も損なわず、また切り落とした枝で草地を塞いでしまうこともなく、木立は私が来たときよりも健康で、より美しくなっているだろう。おそらく1日かそこら余分にかかることになるだろうが、誰が気にかけるだろう?】

【『植物のスピリット・メディスン 植物のもつヒーリングの叡智への旅』エリオット・コーワン:村上みりこ訳(ナチュラルスピリット、2022年)】

 日本人であればそれほど違和感を覚えないだろう。意識せずとも我々は精霊の存在を信じている。ただし、本気で向かい合っているかどうかは別の話だ。

 ブッダは樹木の下で瞑想を行った。それは木陰を利用するといった実用的な理由だけではなかったことだろう。クリシュナムルティは「木を見よ」と説いた。

 植物と意思の疎通を行うことは可能だろうか? もちろんだ。なぜなら我々は大昔植物であったからだ。そして我々の体は植物から成っている。食肉だって本を正せば植物から形成されているのだ。

 私は散歩しながら樹木の木肌に触れることがしばしばある。特に何も感じない。ただ触れたいだけだ。本書を読み、木に語りかけてみた。何の返事もなかった。あるいは沈黙で答えたのかもしれない。「お前じゃ、話し相手にならないよ」と。