古本屋の殴り書き

書評と雑文

「私は在る」(I Am)その一/『誰がかまうもんか?! ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』ブレイン・バルドー編

『気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう? ダイレクトパスの基本と対話』グレッグ・グッド
『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト・トール
『ただ一つの真実、ただ一つの法則:私は在る、私は創造する』エリン・ウェアリー
「私は在る(I Am)」の原典/『未来を改造する【ザ・パワー】のしくみ 想定の『超』法則』ネヴィル・ゴダード

 ・「私は在る」(I Am)その一
 ・「私は在る」(I Am)その二
 ・「私は在る」(I Am)その三
 ・「私は在る」(I Am)その四
 ・「私は在る」(I Am)その五

『“それ”は在る ある御方と探求者の対話』ヘルメス・J・シャンブ
『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン

悟りとは
必読書リスト その五

意識 Consciousness
 存在するすべては意識である。これは、解釈と形式的儀式に堕落させられる前のあらゆる宗教と霊的な道の背後にある、永久の基本原理である。いかなる面も質もない。それは概念化されることができず、ただ指し示されるために、名前を与えられるだけである。それは多くの名前で言及されている。神、私-私、非現象、潜在能力、現実、真我、源泉、主体性、タオ、それ、全体性、真実、ユニシティなど。非現象の状態では、それは「休息している」、あるいは内在しているものとして言及される。自分自身に気づいていない意識が、「私は在る」(I Am)として自分自身に気づくようになる。「概念」「私は在る」を参照のこと。

【『誰がかまうもんか?! ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』ブレイン・バルドー編:高木悠鼓〈たかき・ゆうこ〉訳(ナチュラルスピリット、2010年/原書、1999年)以下同】

 巻末の「用語解説」より。今年の1位。内容的にはデーヴィッド・ゴッドマン編『覚醒の炎 プンジャジの教え』の方が理解しやすく、好みに合っているのだが、本書は脳を鷲掴みにし、心を踏みつけられるような衝撃を受けた。実は二度三度と挫けそうになった。思考回路が拒絶し、混乱し、ぐちゃぐちゃになり、発狂するかと思った。映画『ドッグヴィル』(ラース・フォン・トリアー監督・脚本)を見た時の痛みと似ている。

「はじめに」➡巻末用語解説➡翻訳者あとがき➡本文の順で読むのが望ましい。

私は在る I Am
「私は在る=I Am」という気づきにおいて、非個人的意識が最初に現象化すること。これ以外には何ごとも存在せず、唯一の真実である。なぜなら、それは異論を唱えられないものだからである。それゆえ、個人的アイデンティティという感情にもとづいて、それに引き続き起こる思考によって考えられないかぎり、それは観念ではない。2つの思考や2つの予想の合間。「意識」「私-私」を参照のこと。

私-私 I-I
 ラマナ・マハルシが語った意識、源泉、全体性のこと。「私-私」と「私は在る」は別のものではなく、「私-私」は、現象において「私は在る」となる。「私-私」は、「私は在る」として、それ自身に気づくのである。「意識」「私は在る」を参照のこと。

 アドヴァイタとは、「 a(ではない)+dvaita(ドヴァイタ=二つである)で、advaita(アドヴァイタ=二つではないこと)、つまり『二つではない』という意味です」(はじめに)。「a」は英語の「un, dis, im, mis」に該当するのだろう。すなわち、不二一元論であり、梵我一如を目指すと考えてよかろう。昨今は「非二元」(ノンデュアリティ)と呼ぶのが主流となっている。

 ラマナ・マルハシは「私は誰か?」と問うことを教えた。ラメッシの師であるニサルガダッタ・マハラジは「私は在る」と説いた。

 私が発狂しそうになった理由を述べよう。アドヴァイタはヒンドゥー教の教えである。そしてヒンドゥー教は師弟関係を重視する。グルを否定したのがクリシュナムルティであった。個人的にはブッダよりもクリシュナムルティに傾倒している。三宝への帰依(きえ)と戒律に馴染めないためだ。クリシュナムルティは常々、古く固定した考えに固執する姿勢を愚弄し、「シャンカラですか?」と口にした。アドヴァイタを説いたのは、そのシャンカラ・アーチャーリヤである。更にラメッシは完全な運命論を説いている。全ては神の意志の成せる業(わざ)であり、行為者は存在しないとまで言い切るのだ。

 私が動揺したのは、自分が許容できる範囲でクリシュナムルティを理解しているためだった。つまり私の思考回路や価値観にクリシュナムルティを嵌(は)め込んだわけだ。もちろん歪(いびつ)な形なっていることだろう。私は結局何らかの信仰を抱いていたことになる。信じたものが揺らぐ時、人は腰を抜かし、神経に狂気が駆け巡るのだ。

 私は狂った。そして死んだ。直後に生まれ変わった。