古本屋の殴り書き

書評と雑文

キリスト教イタコ系/『イェシュアの手紙』マーク・ハマー

・『セスは語る 魂が永遠であるということ』ジェーン・ロバーツ:ロバート・F・バッツ記録
『未来は、えらべる!』バシャール、本田健
『ただ一つの真実、ただ一つの法則:私は在る、私は創造する』エリン・ウェアリー

 ・キリスト教イタコ系

悟りとは

 私はそっと優しく、リズミカルに呼吸をし始めた。目は自然に閉じてゆき、無数の思いが私の心の中で渦巻き、旋回、回転していくのをさらに強く感じた。最初は、その思いに圧倒され、次々と瞬時の感情が現れ、そして、それに反応してまた別の思いも生まれていった。ゆっくりとその思いを手放し、雑念の嵐から自らを切り離し、そして少しずつさらに深い意識の中に入っていった。

 やがて、まるで荒れ狂った波が広大で静かな海とふたたび交わっていくような、平和で穏やかな境地になった。雑念はだんだん薄れてゆき、最後に沈黙だけが残った。呼吸の感覚さえもほとんどなく、心は静まり返った海のようで、明晰、かつ、空っぽであった。科学の神は、明想を「リラクゼーション反応」という生理的メカニズムと過小評価しているが、そのような評価などは、この最もすばらしい経験の感覚に比べれば、ほとんど意味のないものである。これこそが超自然中の超自然である。

 完全なる静寂は去っていったが、いつもの雑念はそこにはなかった。空虚の中から現れたのは、まるで暗い夜空に一点輝く星のような、やわらかな黄金の光だった。その光は自然に、着実に、どんどんと拡大し始め、私の内なるヴィジョンのすべての領域を完全に満たすまで近づき、やがて私という存在のすべてを覆い、ついにはその高次の光以外のものは何も存在しなくなるまで広がった。

【『イェシュアの手紙』マーク・ハマー:マリディアナ万美子〈まみこ〉訳(ナチュラルスピリット、2007年)】

 女友達との会話が冗長で読む気が失せた。キリスト教イタコ系の悟り本である。「イェシュア」とはイエスヘブライ語読みだ。

 マーク・ハマーは元々瞑想に親しみ、老師、禅、『ウパニシャッド』、『バガヴァット・ギーター』(ママ)に触れてきた。それだけにイェシュアの登場には本人が一番驚いたようだ。

 瞑想や悟りの記述は皆一様に共通している。それだけに悟っていない者はついついイメージにとらわれてしまいがちだが、強い印象を持てば持つほど悟りは遠ざかる。

 言葉の届かぬ源に触れるかどうかが問われるのであって、言葉の罠に掛かってはなるまい。