・自由の問題 1
・自由の問題 2
・自由の問題 3
・欲望が悲哀・不安・恐怖を生む
・教育の機能 1
・教育の機能 2
・教育の機能 3
・教育の機能 4
・縁起と人間関係についての考察
・宗教とは何か?
・無垢の自信
・真の学びとは
・「私たちはなぜ友人をほしがるのでしょうか?」
・時のない状態
・生とは
・習慣のわだち
・生の不思議
そして、生とはどういうものでしょう。生はとてつもないものでしょう。鳥、花、繁った木、天、星、河とその中の魚、このすべてが生なのです。生は貧しい者と豊かな者です。生は集団と民族と国家の間の絶え間ない闘いです。生は瞑想です。生は宗教と呼ばれているものです。そしてまた心の中の微妙で隠れたもの――嫉妬、野心、情熱、恐怖、充足、不安です。このすべてともっと多くのものが生なのです。
【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年/原書、1964年)】
「教育の機能 2」で紹介したテキストを再掲する。
読むに値しない本を数十冊も読んでいると精神が疲弊してくる。好きでもない人間と立て続けに対話をするようなものだ。「で、お前の言いたいことは何なんだ?」「そんなどうでもいい戯言(たわごと)で俺の貴重な時間を奪うな」と言いたくなる。
疲れる原因はもう一つある。書き手の殆どが野心を燃やして、本を売ることに汲々としているためだ。競争、競争、また競争だ。売れれば勝ち。売れなければ負けという単純な世界だ。文は飾り、嘘をつく。文の訓読みは「かざ-る」だ。いれずみを「文身」と書くことからも明らかだろう。
知識は生きる力たり得ない。歴史や哲学を武装目的で学ぶことは不毛である。中国人や韓国人を言い負かしたところで、自分の人生が豊かになるわけでもない。興味や関心を真っ直ぐ伸ばすことは意外と難しいものだ。日本の近代史をどんなに美化しても敗戦の事実が変わることはないし、一部の美しい生きざまを宣揚しても全体の愚行を覆い隠すことはできない。
クリシュナムルティは清濁や美醜を見つめる。併せ飲むのではない。ただ、ありのままの事実を見つめるのだ。ありとあらゆる反応が生そのものであり、川のように流れてとどまることがない。
生の不思議を忘れて日常の些事にかまける時、人生は灰色と化している。昨日と同じ今日を生きる時、生命は色褪せて輝きを失うのだろう。