古本屋の殴り書き

書評と雑文

隠そうとする心理/『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
フランス・ドゥ・ヴァール「良識ある行動をとる動物たち」

 ・隠そうとする心理

『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
道徳・モラルの起源

 人間は神の不手際の産物にすぎないのか? それとも神が人間の不手際の産物にすぎないのか?     フリードリヒ・ニーチェ


快楽の園に生きる


 私はオランダのデン・ボスで生まれた。画家のヒエロニムス・ボスが自分の名に採った町だ。だからといって彼に詳しいわけではないが、中央の広場にボスの像が立つ町で育ったので、彼のシュールな絵や象徴的な表現が昔から好きだったし、神の影響力が衰えるなかで、この世における人間の位置をうまく捉えている点も気に入っていた。
 裸の人間たちが遊び戯れる彼の有名な三連祭壇画「快楽の園」は、楽園の純真さに捧げる讃歌だ。中央パネルの情景はあまりに楽しげでくつろいだものなので、厳格な専門家たちが提唱する堕落と罪の解釈とは相容れない。そこに描かれているのは、人類の堕落の前の、あるいは、堕落などまったく抜きの、罪悪感や羞恥心とは無縁の人間たちの姿だ。私のような霊長類学者にとっては、裸体や、セックスと繁殖についてのほのめかし、多くの鳥や果実、群れを成しての移動はごく当たり前のもので、宗教的な解釈や道徳的な解釈などおよそ必要としない。ボスは私たちを自然な状態のまま描き、自分の道徳観の表明は右側のパネルに譲ったようだ。そこで彼が罰しているのは、中央パネルで遊び戯れている人々【ではなく】、修道士や修道女、大食漢、賭博に興じる者、戦士、大酒飲みたちだ。ボスは聖職者も彼らの強欲も忌み嫌っていた。右隅に、ドミニコ会の修道女のようなヴェールを被ったブタに財産を譲り渡す書面への書類を拒んでいる男が小さく描かれているのも、それで説明がつく。その哀れな男は、ボス自身だと言われている。


【『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店 、2014年)】


ヒエロニムス・ボス - Wikipedia


【右パネルの右下を拡大】

 私は幼い頃から饒舌で隠し事が少ない。神秘のヴェールに包まれているのは股間くらいである。それでも時折「隠そうとする心理」が働くことがある。大体の場合、「ちょっと恥ずかしいこと」である。往々にして「もう少し時間が経ったら書こう」との結論になる。

 私が隠そうとしているのは「恥部」だ。前述した通り「パンツを脱ぐのはちょっと……」という他愛もないことなのだが、この程度のことでも実は良心の呵責が起動する。自分が正直者とは思えないが、嘘を嫌う性分が強いのは確かだ。

 隠そうとするのは、人に「見られたくない」「知られたくない」事実である。先ほど風呂で考えていたのだが、「恥部」である場合と、「詐(いつわ)り、欺(あざむ)く」ケースの二通りがあることに気づいた。

 動物が知能を高度に発達させた目的は「騙す」ことにある。ドゥ・ヴァールによれば良心や善行は動物にも見られる心理や行動で、騙すのは高度な知能を有する動物に限られる。類人猿や自己鏡像認知ミラーテスト)ができる動物と考えていいだろう。

 騙すためには相手の心の働き(信念)を理解する必要がある。他人の世界を理解することが騙す第一歩なのだ。騙す目的はもちろん自分の利益確保である。

 実は不思議なことだが我々は「騙す」ことも「騙される」ことも快感と感じる傾向がある。最もわかりやすいのはスポーツ(球技)におけるフェイントや手品・イリュージョンの類いだろう。映画やミステリで用いられる起承転結の「転」も受け手を騙すものが多い。

 人類のコミュニティが大きくなるに連れて嘘もまたスケールが大きくなった。その意味で「騙す」ことを生業(なりわい)にしているのは政治家と新聞・テレビに尽きる。奴等の嘘は大きすぎて見えにくい。そして隠し事の少ない一般人は自分を基準に世界を見ているため、コロッと騙されてしまう。紙面や公共の電波を使って嘘をばらまく行為に想像が及ばないのだ。

 現在の世界を動かすシステムは資本主義と民主政である。共産主義社会主義が敗れたのは、その「騙し方」がわかりやす過ぎたためで、搾取が酷すぎた。民主政は自由とセットで考えられているが、そもそも大衆はそれほど自由を望んではいない。会社員が多いのがその証拠である。自由を求めれば企業に隷属することなど考えられない。現代の自由とは購買力と健康に収斂(しゅうれん)されると私は考える。

 少数の頭のいい人間が、大多数の頭の悪い人間を騙すのが国家や企業の論理である。

 会社を見ると、苦しむ管理職や悩む社員、そして優秀なパートが稀に存在する。たぶん民主政を機能させる鍵はこの人たちを活躍させることができるかどうかに掛かっている。

 多くの人々を騙した連中には地獄が相応(ふさわ)しい。

 内容からするとTED講演を編んだものかもしれない。