古本屋の殴り書き

書評と雑文

大欲不足/『「捨てる!」技術』 辰巳渚

 ・大欲不足
 ・「今ここ」で捨てる

『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵
『コミック版 たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易
『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』小松易
・『たった1分で人生が変わる片づけの習慣 実践編』小松易
『大丈夫!すべて思い通り。 一瞬で現実が変わる無意識のつかいかた』Honami
『人生を掃除する人しない人』桜井章一、鍵山秀三郎
『ぜんぶ、すてれば』中野善壽
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』佐々木典士

 かつて、モノは貴重だった。大量生産大量消費の現代生活が始まるまで、ほんのつい最近まで、モノは使い切るまで大切にされ、そのモノの用途が終わっても別のかたちで再利用したりして、それから処分された。食品も、米粒ひとつまで残さずに食べるようしつけられた。モノを使い切ってから捨てて、それから新しいモノを手に入れる循環がなされていた。だからこそ、“もったいない”が美徳だった。
 しかし、今は違う。
 高度経済成長期には新しい電化製品が次々に現れ、“新しい”という理由でモノが買われていった。新しいモノ=いいモノだったから、古いモノは惜しみなく廃棄されていった。新しい便利さ、新しい機能、新しい流行を採り入れるために、モノが次々に暮らしに入ってきた。そのうち、バブル期の「ほしいものが、ほしい」(西武百貨店)というコピーに表されるように、必要なモノでは満たされていてもモノを買うことそのもの、つまり消費そのものが求められるようになった。
 そうして、消費に慣らされた私たちは、今に至ってもモノの呪縛から逃れられなくなっている。必要だから欲しいのではなく、買うためにモノが欲しい、という消費のしかたが定着しているといえる。その結果、モノの消耗のスピードをはるかに超えてモノが増殖し、私たちの暮らしはモノで溢れるようになってしまった。

【『「捨てる!」技術』辰巳渚〈たつみ・なぎさ〉(宝島新書、2000年宝島社文庫、2003年新装・増補版、2005年/文庫改題『新「捨てる!」技術』宝島文庫、2021年)】

 再読。辰巳渚を元祖ミニマリストと呼んでも差し支えないだろう(「ミニマム」と「ミニマル」の違いとは?)。バブル崩壊から既に10年が経過していたが、バブルを懐かしむ心情に止(とど)めを刺した感があった。刊行直後に読んだ時よりも味わいは深い。何と言っても文章がよい。

「現在はどうしているのだろう?」と検索したところ帰らぬ人となっていたことを知った。

辰巳渚がバイク事故で死去

「大型バイクでコーナー曲がりきれずに軽自動車と正面衝突し亡くなった」とある。とすれば左カーブだったのだろう。女性ライダーはニーグリップが甘く、バイクの倒し込みが中途半端になる。あるいは、この世そのものを「捨てた」可能性もある。

 本書を読んだ少女がやがて「世界の近藤麻理恵」となった。そして今、辰巳渚が拓いた道を多くの若者が歩んでいる。

 民主政国家を左右するのは情報だ。それはすなわちメディアと広告である。コピーライターという職業が注目されるようになったのもバブル景気の真っ只中であった。

 資本主義経済には大衆を欺くメカニズムが働く。資本主義社会は消費を強制し、浪費へと誘う(『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード)。我々は知らず知らずのうちに依存症患者となっている(『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン)。

「捨てる!」技術』の最たるものは「自我を捨てる」ことだろう。そういう視点で読むと、本書はより一層面白い。記事タイトルは「少欲知足」のパロディだ。