・『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝
・『野口体操 感覚こそ力』羽鳥操
・『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
・からだの土台と先端・右と左
・『野口体操・ことばに貞(き)く 野口三千三語録』羽鳥操
・『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
・『身体感覚をひらく 野口体操に学ぶ』羽鳥操、松尾哲矢
・『アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司(DVDブック)』野口三千三、養老孟司、羽鳥操
・『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
・『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操
・『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
・『生体の歪みを正す 橋本敬三・論想集』橋本敬三
からだの基盤・土台は「足」であり、末端・先端は「手」である。もっと正確にいうならば、土台の土台は「止」(ひだりのあしのうら)であり、先端の先端は「又・爪」(みぎてのゆびさき)である〈右利きの場合〉。土台と先端の関係はこの外に、左半身と右半身との間にもある。からだのすべての器官は、左と右と対になっていて、右利きの場合、左が土台、右が先端なのである。しかも、相互変換が絶えず行なわれている〈背(後)側と腹(前)側との関係も〉。
右手の方が正確な仕事をする能力が高いと「手は右利きだ」といい、走巾跳びの踏切足が左足であると「利き足は左だ」という。これは、先端的な仕事をするのは右半身で、土台的な仕事をするのは左半身がすぐれている、ということを示す。手が右利きの時は左手は土台的な仕事にすぐれた能力を持ち、左足で踏み切る人は、先端的な仕事、例えば、サッカーボールを細かく扱ったり蹴ったりするのには、やはり右足がやり易い。このことは、土台的な仕事においては左足が利き足で、先端的な仕事においては右足が利き足だということである。
右手が先端的な繊細な仕事をし易い右利きの人は、眼も耳も足もその他の器官も、右半身にある器官が繊細なことに対する能力が高いし、土台的な性質を持つ仕事に対しては、左半身にある器官の方が能力が高い。どちらも価値が高いということではなく、役割の分担の問題であって、両方の能力が如何に一体となって協力できるかどうかが重要なのである。裁縫や料理の仕事、例えば、「運針やリンゴの皮むき」の作業を、土台になる手を使わないでやってみれば、土台の作業がどれほど重要であるかが、痛切な実感をもってすぐ分かる〈脳における右脳・左脳については、神経交叉の関係から逆になる〉。当然のことに、左と右、土台と先端との中間部分の役割は、時間・空間・エネルギーの情報の「伝わり・流れ」の「よりよく開かれた繫がりの道」であることにおいて、極めて重要であることはいうまでもない。生活の中のいろいろな動きについて「右利き、左利き」を、「基盤・土台的な仕事、末端・先端的な仕事」という角度から実際に探検してみると、興味ある問題をつぎつぎ発見することができる。私は、「左と右の問題は、土台・基盤と末端・先端の問題である」と考えている。(63ページ)【『野口体操・おもさに貞(き)く』野口三千三〈のぐち・みちぞう〉(柏樹社、1979年/春秋社、2002年『野口体操 おもさに貞く』)】
「止」の字が左の足跡であるのは微かな憶えがあった。しかしながら野口のテキストを読んで完全に理解できた。人体は左重心なのだ。古代人はそれを自覚していたのだろう。
・左重心の法則/『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
・人間は左側に重心をおく動物/『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃
そして、「足の裏は全身を支配している」(平澤彌一郎)のである。
「土台と先端」は樹木の幹と枝を思えば理解しやすい。バランスが悪ければ強風に倒れる。現在、人体の土台である足は革靴で締めつけられ、スポーツシューズの高機能によって足裏に備わるのクッション性を奪われている。田畑で働く機会もないため足指のつかむ力もほぼない。
私は庖丁などの鉄製品が大好きなのだが庖丁を使うのは上手くない。正直に言おう。かなり下手だ。最近気づいたのだが庖丁を握っていると肩に余計な力が入る。で、肩の力を抜くと、庖丁に手のひらの重みが伝わる。これは不思議な感覚だった。名人クラスであれば体幹の力をも刃先に伝えることができるに違いない。
尚、タイトルの「おもさに貞(き)く」については、“『漢和大字典』に藤堂明保が「貞(き)く」を採用”に記した。