古本屋の殴り書き

書評と雑文

シンギュラリティとは何か/『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク

『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本
『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『養老孟司の人間科学講義養老孟司
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン

 ・シンギュラリティとは何か

情報とアルゴリズム

 シンギュラリティ(特異点)という言葉は当初、数学で、漸近的に近づくことはできるが、決して達しないという意味で使われた。その後、物理学者が、ブラックホールを専門的に表す用語として採用した。これもまた、無限大に近づいていく(この場合、重力が無限大に近づく)という概念を表す。
 さらに最近になると、AIが人間の知性に並ぶか、それを追い抜き、〈知性爆発〉が発生する時間を表す用語として、一般に広く使われるようになった。
〈シンギュラリティ〉がこの用法で初めて使われたのは、1950年代にさかのぼる。数学者のジョン・フォン・ノイマンは、次のように述べたという。
「常に加速し続ける技術の進歩を見ると……どうも人類の歴史において何か本質的なシンギュラリティ(特異点)が近づきつつあり、それを越えた先では我々が知るような人間生活はもはや持続不可能になるのではないか」
 別の数学者、J・J・グッドは、超知性を備えたAIを「人類に必要な最後の発明」と呼んだ人物のはしりである。もちろん当時は、SF界とコンピューターサイエンティスト以外でシンギュラリティについて考える人はそう多くなかった。
 実際、この用語が一般体に知れ渡ったのは、SF作家でコンピューターサイエンティストのヴァーナー・ヴィンジが1993年の論文『テクノロジカル・シンギュラリティ(技術的特異点)』で使ったときだった。この論文でヴィンジはシンギュラリティを、その前と後ですべてが変わる瞬間と定義している。シンギュラリティという用語は、AIが発達して際立った知能を備えるようになるという意味で大いに知られるようになったが、ヴィンジのもともとの論文では、これは挙げられている可能性のひとつにすぎない。
 科学界は、このブレークするーを、次のようにさまざまな手段で成し遂げる可能性がある(これもまた、シンギュラリティがいつか起こると私が確信する理由である)。

・通常の人間を超えた知性を持つ、「目覚めた」コンピューターが開発される可能性がある。

・大規模なコンピューターネットワークと、関連するユーザーが、通常の知性を超えた存在として「目覚める」可能性がある。

・コンピューターと人間とのインターフェイスが非常に緊密になり、その結果、ユーザーが通常の人間を超えた知性を獲得したとみなせるようになる可能性がある。

・生物学によって、人間のち脳を引き上げる手段が生まれる可能性がある。

【『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク:竹内薫〈たけうち・かおる〉監修、二木夢子〈ふたき・ゆめこ〉訳(徳間書店、2021年)】

 私が「シンギュラリティ」という言葉に触れたのはレイ・カーツワイルの著作だった。無論、ブラックホールにおける特異点は知っていたが、指数関数的な技術進歩が極まる近未来を思い浮かべることが難しかった。その後、シンギュラリティは「2045年問題」とセットで人口に膾炙(かいしゃ)するようになった。本書でも上記テキストに続いてレイ・カーツワイルを取り上げている。

 まだ読書中なのだが、ゲームの記述が多くゲームと無縁の私には読みにくい。更に、「意識=情報」との捉え方は眉唾物だ。意識は「観察者」である。観察するものと観察されるもの(情報)がイコールになるわけがない。ただしこの考えは、私が人間原理を信じているためだ。

 近頃は人間原理から意識原理に傾きつつあり、宇宙は意識(=認識する主体)から誕生したと考えるに至った(意識の物理法則)。その視点が「神」なのだ。すなわち悟りとは、私の意識を宇宙意識と開く営みなのだろう。

 リズワン・ヴァーク(インド系アメリカ人)はシミュレーション仮説に基づいているため、どうも私の趣味と合わない。シミュレーションはヴァーチャルリアリティと混同されがちな概念だが、正確な意味は「机上訓練、模擬演習」である。これはインド思想の輪廻と親和性が高いようにも見えるが、むしろ仏教側からは唯識の立場に即した批判を展開してもらいたいところだ。

 それにしても各章エピグラフブッダからパラマハンサ・ヨガナンダルーミーケン・ウィルバーまでを引用する健啖家(けんたんか)ぶりに驚かされた。