古本屋の殴り書き

書評と雑文

デジタル脳の未来/『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ

『物語の哲学』野家啓一
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理

 ・デジタル脳の未来
 ・ソクラテスの言葉に対する独特の考え方

『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル

 これから数十年のあいだに、人間のコミュニケーション能力は大きく様変わりしていくはずだ。脳内に新たな接続が補充され、それが、これまでとは異なる新しい形で、知能の進化を推し進めていくからである。文字を読む脳からデジタルな脳への移行が進む今、文字をよむため、つまり読字するためには脳に何が求められるのか、また、物事を考え、感じとり、推測し、他の人間を理解する能力に読字がどう役立っているかを知ることが、ことのほか重要だ。


【『プルーストイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ:小松淳子〈こまつ・じゅんこ〉訳(インターシフト、2008年)】

 トランスヒューマニズムという概念の中にポストヒューマンが位置する。脳とデバイスの接続についてはパーキンソン病の治療から幕を開けると予想されている。

 私の貧しい発想で単純に考えれば、脳+PC+インターネットとなる。検索し放題だ。来年還暦となるので余生の半分は検索に費やす羽目になるかもね。鳥や草花の名前は瞬時にわかる。知ろうとすれば最新ニュースも洪水のように流れてくることだろう。スマートグラスを使えば、いつでも好きな映画やドラマの視聴も可能だ。夜空を見上げれば見えない星の位置まで教えてくれる。

 確かに便利だ。しかし便利というだけだ。パソコンの前に坐る必要はなくなるし、キー操作からも解放される。ところが生活に余暇が生まれることはなく、恐るべき情報の波に飲まれてしまうことだろう。人間と人間との会話は極端に少なくなることだろう。むしろ会話を否定する方向に社会が進むのではあるまいか。

 文字の誕生によって人類は豊かな「語りの文化」を失った。かつて民族に固有の神話や伝承は精神の背骨となって人々を立たしめた。それが経典・教典に置き換わると、論理性や訓詁注釈にとらわれるようになった。物語性は背景に押しやられた。

 デジタル脳の未来は暗い。確かにパソコンやインターネットは社会のあり方を更新したが、一変させるまでには至っていない。どちらかというとデマや中傷を流す装置と化している。

 膨大な情報量にもかかわらず、我々には明治維新のような熱気がこれっぽっちもない。

 デジタル脳は五官を廃用症候群にしかねない。便利を恐れよ。