古本屋の殴り書き

書評と雑文

神経可塑性とは/『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ

『壊れた脳 生存する知』山田規畝子
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
・『脳のなかの幽霊』V・S・ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー
・『脳のなかの幽霊、ふたたび』V・S・ラマチャンドラン
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ

 ・脳は変化する 回復をあきらめてはいけない

『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『唯脳論』養老孟司
『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二

 脳は変化する。回復をあきらめてはいけない。(表紙見返し)


【『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ:高橋洋〈たかはし・ひろし〉訳(紀伊國屋書店、2016年/原書、2015年)以下同】

 不自由な体も脳の配線が更新されることで動く場合がある。神経可塑蘇性の発見は全く新しい視点をもたらし、多くの人々に生きる光明(こうみょう)をもたらした。

 神経可塑性(neuroplasticity)とは、自己の活動や心的経験に応じて、脳が自らの構造や機能を変える性質のことである。また同書(※前著『脳は奇跡を起こす』)では、この発見を活用して脳に驚くべき変化をもたらすことに史上初めて成功した何人かの科学者、医師、患者を取り上げた。それ以前の時代には、このような変化はまったく考慮されなかった。というのも、「脳は変化する能力を持たない」というのが過去400年にわたる主流科学者の見解だったからだ。つまり、「脳は数々の部品から構成される輝かしき機械であり、それらのおのおのが、脳内の所定の場所で一つの心的機能を果たしている。機械には自らを修理し、新たな部品を生産する能力など備わっていない。ゆえに卒中、負傷、疾病(しっぺい)によって脳の一部が損傷を受けると、修復は不可能である」と考えられていたのだ。また科学者たちは、脳の神経回路が変更不可能、すなわち「固定配置」(ハードワイヤード)されているものと考えていた。ならば、心的な限界や学習障害を抱えて生まれた人は皆、そのまま一生を過ごさなければならない。機械のたとえが高じると、科学者たちは、今度は脳を一種のコンピューターとして、またその構造を「ハードウェア」としてとらえ、「古くなったハードウェアに可能な唯一の変化は、使用とともに劣化することだ」と論じた。確かに機械はすり減っていく。使用【とともに】失われるのだ。かくして、心的な活動や運動によって脳の機能低下を防ごうとする高齢者の試みは、時間の無駄だと考えられていた。

 前著と似たようなテキストだが、時代を画する発見はその後常識となってしまうため、全時代の愚かさが見失われがちだ。そこを忘れないためにもしっかりと覚えておく必要があるだろう。

 科学や医学の常識はクルクルと変わる。古い常識の犠牲になる人々は決して少なくない。専門家は専門性の奴隷である。眼の前の事実をも理論で封じ込めてしまう。特に西洋の場合は教会の権威が科学の権威にすり替わってしまったよなところがあって、東洋のような全体性(ホリスティック)を欠いている。

 脳も宇宙も量子世界も関係性とゆらぎで構成されている。神経可塑性の発見はあらゆる人の脳が進化できる可能性を明かした。現代人に不足しているのは電化製品以外の刺戟だろう。

 表紙が若いオバマ大統領を思わせ、どうもすっきりしない。