古本屋の殴り書き

書評と雑文

「評価する」意味づけを変えよ/『NLPフレーム・チェンジ 視点が変わる〈リフレーミング〉7つの技術』L・マイケル・ホール、ボビー・G・ボーデンハマー

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎、古賀史健
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍

 ・「評価する」意味づけを変えよ

・『NLPイノベーション 〈変革〉を起こす6つのモデル&アプリケーション』L・マイケル・ホール、シェリー・ローズ・シャーベイ
・『いま、目の前にいる人が大切な人』坪崎美佐緒:大久保寛司監修
『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『人生を変える一番シンプルな方法 セドナメソッド』ヘイル・ドゥオスキン

必読書リスト その五

意味付けと神経意味論

 たとえば、10代の息子がソファーにひっくり返ってTVを見ているのをお父さんが見たとしましょう。この時点で、私たちには五感をもとにした表象しかありませんよね。あるいは、あなたはすでに結論を引き出し、それを評価してしまいましたか? たとえば、そのお父さんが息子を見て、即座に「怠惰」な行動であると分類したとしましょう。お父さんは、「怠惰」をフレームとして設定しています。特定の行動を見ただけで、それ以上、感覚にもとづく細部の情報を見ようとしません。そして、お父さんはただ“怠惰”を見ているのです。
 もちろん、「怠惰」はこの世に存在しません。世界に存在するものとは、単純に見て聞いて感じる情報です。少年がソファーに寝転がり、TVを見ている。そういう五感のシグナルにより描き出された内的な映画に私たちが与える意味とは、私たちの信念、価値観、理解、抽象概念、そしてパラダイム次第です。それは、私たちがあてはめるフレームによります。私たちは何を参照しているのでしょうか? よその親は同じ光景を見て、他のフレームをあてはめ、こう言うかもしれません。

「私の悲惨な子供時代と違って、ジョンがリラックスして人生を楽しんでくれて嬉しい。私が子供の頃に手に入れられなかったものを息子に与えてやれるとは感無量だ」

(中略)「意味」は心の中にだけ、限定的に存在します。「意味」は、評価や査定という形で存在します。それは、私たちが表象する「見て聞いて感じる心の映画」に、他の参照フレームを持ち込むことによって発生します。

【『NLPフレーム・チェンジ 視点が変わる〈リフレーミング〉7つの技術』L・マイケル・ホール、ボビー・G・ボーデンハマー:ユール洋子〈ようこ〉訳(春秋社、2009年)】

 半分ほどで挫けたのだが必読書としておく。テクニカルな内容で一気に理解することが難しかった。出版社の狙いとしては教科書として扱うべく横書きにしたのだろうが、大失敗であると忠告しておく。漢字は縦書きが基本であり、横書きにすると漢字の香りが失われるのだ。ページも繰(く)りにくい。

 NLPについてはあまりいい本がない。まだ咀嚼期なのだろう。NLP神経言語プログラミング)の目的はリフレーミング(認識のフレーム転換)にある。アドラー心理学の目的論とやや似た印象を受けた。

 上記の例えはわかりやすい。同じ行為を見ても人によって判断が異なる。判断というよりは評価の方が正確か。あるいは査定(アセスメント)。

 我々は概念で世界を認識するのだ。そこで基準になっているのは快・不快(好き嫌い)である。人の数だけ世界が存在するとよく言われるが、それは結局のところ「意味世界」なのだ。もう一歩踏み込むと「世界=意味」の可能性もある。 

〈フレーム・チェンジ〉モデルでは、抽象度のレベルを水平移動するパターンを利用して意味をリフレームする方法がたくさん出てきます。「リフレーミングが意味を変容する」のです。

 認識の枠組みを変える=リフレームである。これは簡単そうで難しい。なぜなら、自分の価値観を相対化する必要があるからだ。キリスト教世界に亀裂を入れるアプローチになればいいと思う。

 一神教に限らず人間は何かを絶対視する価値観に囚われている。NLPはそこから離れるための一助になり得る。