古本屋の殴り書き

書評と雑文

BGMのように流れている不満/『わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます』エックハルト・トール

・『人生が楽になる 超シンプルなさとり方エックハルト・トール

 ・将来を待つのは現在の否定
 ・BGMのように流れている不満

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト・トール
・『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教えエックハルト・トール
『ニュー・アース』エックハルト・トール

悟りとは

 待つことも、「無意識状態」のひとつです。このような習性は、「BGMのように流れている不満」というかたちで、すっかりわたしたちに溶けこんでいるために、簡単に見過ごされてしまいます。しかし、思考と感情を観察すればするほど、過去や未来のわなにはまってしまった時、つまり無意識状態の時に、すぐにそれと気づくようになり、時間という夢から覚め、「いまに在る」ことができます。

【『わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます』エックハルト・トール:飯田史彦〈いいだ・ふみひこ〉責任翻訳(徳間書店、2003年)】

 現在(今ここ)を失念している状態を「無意識状態」という。「BGMのように流れている不満」とは言い得て妙だ。その人固有の通奏低音が確かにある。

 ダライ・ラマ14世と心理学者のポール・エクマン(ドラマ『ライ・トゥ・ミー 嘘の瞬間』主役のモデル)が感情を検討し、「悲しみ」「恐れ」「喜び」「怒り」「嫌気」の5種類に分けた(自分の内側の感情を科学的に分析する、ダライ・ラマによる感情地図「Atlas of Emotions」 - GIGAZINE)。

 5種類の感情のグラデーションが性格を成しているのだろう。あるいは悪に対する許容度が個性を際立たせる。不真面目で怠惰な人間は小さな悪に対して鈍感だ。その鈍感さが凡庸さにつながる。

 我々は面白くないことがあるとそれを引きずる。出来事が終わった後も延々と感情を維持させる。それを「妄想」という。嫌な相手は自分のことなど考えていないことだろう。だが、心に傷を負った自分は嫌な出来事を何度も何度も繰り返して思い出し、同じマイナス感情の虜(とりこ)になるのである。これが「過去の罠」にはまった状態だ。

 悟った人は現在に欠乏を感じない。仏教で悟りが満月に喩(たと)えられるのは「一つとして欠けるところがない」ことを意味する。

 実は思考も妄想である。近代人は理性や合理性を過信している。「考える葦(あし)」などといって思考を持ち上げたのが西洋文化だが、一神教の神から自由になるための道程であったのだろう。理性や思考は他人を説得する道具でしかない。

 悟りとは思考と感情から離れることでもある。思考+感情=自己(セルフ)の公式が破壊されれば、空観(くうがん)の世界がありありと見えるのだ。