古本屋の殴り書き

書評と雑文

カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド

『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン

 ・カーゴカルト=積荷崇拝

『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース

カーゴカルト」(積荷崇拝)は、パターンが見いだされたもののその隠れた原因について何の根拠もないケースの一例である。たとえば第二次世界大戦後に南西太平洋諸島の原住民が見せた行動がそうだ。彼らはまず日本軍が、のちに連合軍の兵士が、滑走路を作る、行軍する、着陸機を誘導する、決まった様式の服を着るなどしたのを目にした。こうした物珍しい振る舞いと関連付けられたのが、よそ者たちが「カーゴ」と呼ぶ見たこともない物質――缶詰、衣服、車両、銃器、無線機、コカコーラなど――を大量に積んだ巨大な空飛ぶ機械が飛んでくることだった。戦争が終わってよそ者たちが去ると、原住民は自分たちも同じような行動をとれば飛行機がまた飛んでくると考えた。そこで藁とココナッツで滑走路を作り、竹とひもで管制塔を建て、戦時中に出くわした兵士が着ていたような服に身を包んだ。そして木彫りのヘッドホンをかけて椅子に座り、「滑走路」から見よう見まねの着陸信号を送った。彼らはパターン――よそ者があの奇妙な振る舞いをすると豊かな報酬が届く――を見いだし、そこに結び付きがあるのだと、隠れた因果関係があるのだと推論したのだった。だが、推論によって導かれたこの関係は実際には因果関係ではなかった。
 ある出来事に続いて別の出来事が驚くほど頻繁に起こっていても、最初の出来事が二つめの出来事の原因だとは限らない。統計学者はこのことを手短に「相関関係は因果関係を含意しない」と表現する。日焼け止めの売上増はよくアイスクリームの売上増と結び付けられるが、片方がもう片方のおかげというこではなさそうで、むしろ共通の原因――夏らしい暑い日が多いなど――が存在している可能性のほうが高い。同じように、この私を観察すると、朝に自宅の屋根が湿っていると必ず傘を持って出ることに気づくかもしれない。だが、傘を持ち歩く気にさせているのは湿った屋根ではない。この誤謬を言い表すのに哲学者や論理学者はラテン語の警句 post hoc ergo propter hoc を持ち出す(「前後即因果」などと訳されている)。因果関係があるならば、そこには必ず時間的な前後関係があるが、時間的な前後関係があるからというだけで因果関係があるとは限らないのである。
 迷信は運が中心的な役割りを果たす二つの分野、ギャンブルとスポーツでとりわけ広く見られる。


【『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド:松井信彦〈まつい・のぶひこ〉訳(早川書房、2015年/ハヤカワ文庫、2017年)】

 恐ろしいほどわかりやすい動画があったので紹介しよう。

 カーゴ・カルト(cargo cult)とは、主としてメラネシアなどに存在する招神信仰である。いつの日か、先祖の霊・または神が、天国から船や飛行機に文明の利器を搭載して自分達のもとに現れる、という物質主義的な信仰である。直訳すると「積荷信仰(つみにしんこう)」。近代文明の捉え方について独特の形態をとることが特徴である。


Wikipedia

「積荷崇拝」とも訳される。預言者の「今日ヨーロッパ人の手にあるさまざまな財は本来島民のもので,近い将来先祖の霊がそれらの財 (カーゴ=積荷) を汽船や飛行機に積んで戻り,われわれに至福の世をもたらしてくれる。そのとき世界の秩序は逆転し,現在の支配者であるヨーロッパ人に対してわれわれが優位に立つことができる」という言葉に基づいて,信徒たちは積荷を受入れるために大きな家や船,滑走路の模造物を作り,そのまわりで歌い踊る儀礼を行なった。


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

 現地の人々は西洋人との接触により、便利な文明の利器は元々は先祖の霊や神々が自分たちのために創造してくれたものであるとし、それを持っている白人は先祖の霊の化身であると考えた。もしくは白人によって不当に奪われたものであるという思想を伴い、儀式をおこなうことで自分たちに届けさせるという行動に結びついた。


ピクシブ百科事典

カーゴカルトとは?わかりやすく簡単に-なにかの知識
THE MAGAZINE | 捨てられた都市とカーゴカルト

cargo cult画像検索」を見ると、その壮大さが理解できる。やはり宗教は大掛かりな「祭り」を必要とするのだろう。

相関関係=因果関係ではない/『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
相関関係が因果関係を超える/『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ

「宗教の原型は確証バイアス」というテンプル・グランディンの指摘は私の背骨と化していることもあってカーゴカルトを簡単に嘲笑できない。むしろ人間の脳は容易にカーゴカルトを目指すと弁えるべきだろう。

 例えば世間で言うところの成功者は「物の豊かさ」で証明される。大邸宅や高級車、一流品に囲まれた生活全般を指している。サクセスストーリーの多くは「豊かな物質」から逆算した相関関係を物語化したものに過ぎない。同じ努力をしても成功できなかった人々は山ほどいるはずだ。厳密に調べれば何が成功の原因となったかは定かではない。運や偶然に左右されることがあまりにも多いためだ。

 信仰の実態は取り引きであることが大半だ。崇拝や布施と引き換えに幸福が約束される。つまり幸せになりたいのであれば犠牲を払えという法則だ。その甘言に乗っかってしまう人はカーゴカルトの罠に完全にはまっている。