古本屋の殴り書き

書評と雑文

反体制主義/『ジュリアン・アサンジ自伝 ウィキリークス創設者の告白』ジュリアン・アサンジ

『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・反体制主義

 会議室の一室でカソリックの司祭と会った。僕は理想的な子羊とはいえなかったから、精神的指導という点では大きな成果はなかったが、その司祭がウガンダの出身だったせいで親しみを感じ、笑いながら言葉を交わした。本棚にソルジェニーツィンの『ガン病棟』があるのが目に留まった。独房に持っていって読みふけり、人間の残酷さについての含蓄のある言葉や、名作が与えてくれる慰めを夢中になって味わった。


【『ジュリアン・アサンジ自伝 ウィキリークス創設者の告白』ジュリアン・アサンジ:片桐晶〈かたぎり・あきら〉訳(学研プラス、2012年)以下同】

 佐藤航陽〈さとう・かつあき〉が絶賛していたので読んでみた。10年前の刊行で古書が出回ってないのが不思議である。出版社の前書きによれば、出版直前になってジュリアン・アサンジが契約破棄を申し出たが、強引に契約を履行したとのこと。電子版もないのは、かような事情が影響しているのかもしれない。あるいは政府に都合の悪い記述があって買い占めている可能性もある。

 そこへベトナム戦争反戦デモの一群が通りかかって、現代史の活人画を思わせる光景が広がった。母はあの戦争を正しく理解していたわけではなかったが、デモに加わって大きな感情の波に身をゆだねたいと感じた。

 ジュリアン・アサンジは1971年にオーストラリアで生まれた。とすると母親は団塊の世代に近い。

 僕の両親は――アーティスト肌の陽気な娘と、彼女の人生に踏み込んできた教養豊かなデモの参加者は――筋金入りの抵抗者だった。保守的な社会が自己主張をはじめた時期であり、芝居じみた一面もあったが、僕は母乳と一緒に、反体制主義こそが支配されてもかまわない唯一の情熱だという観念を吸収していたに違いない。その精神が僕に受け継がれているのは間違いないと思う。

 以上三つのテキストの三段跳びによって私はジュリアン・アサンジを左翼と断定した。巧妙な文章の向こう側に透けて見えるものがある。「反体制主義」は思想ですらない。子供のわがままと変わらぬ態度であって、体制=悪との設定がそもそも妄想であろう。彼らにとっては革命こそが目的であって、革命の理由は不問に付される。破壊には一種の快感がある。積み上げた積み木を子供が壊すのと一緒だろう。

 あるいはアナーキスト無政府主義者)の可能性も否定できないが、いずれにせよ信仰心の欠如、伝統に対する敬意のなさ、歴史への無理解が見受けられ、とても読み通す気にはなれなかった。

 クリストファー・ワイリーを読むとよくわかるのだが、シリコンバレーはリベラルの気風が強く、民主党支持者が大半だ。IT技術は国家という枠組みを超える。だからといって祖国の歴史や文化を忘れてしまえば、他国への配慮も欠いて、結局どの国も市場としか見えなくなる。新自由主義は自由を求めていない国々にまで自由を強制する。しかもアメリカが説く自由は結果的に不自由となることが多い。