古本屋の殴り書き

書評と雑文

スピリチュアル=呪術的=無意識/『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』橘玲

『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015 知的人生設計のすすめ』橘玲
『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』橘玲、海外投資を楽しむ会

 ・スピリチュアル=呪術的=無意識
 ・反社会的な人間は心拍数が低い
 ・「予言が自己成就しない」実例

 脳は長大な進化の過程で、スピリチュアル(呪術的)なものとして「設計」された。
 わたしたちにとっての世界(社会)は、「わたし=自己」を中心として、家族、友人、知人、たんなる知り合い、それ以外の膨大なひとたちへと同心円状に構成されている。他者を中心とした世界を生きているひとはいないし、もしいたとしたら精神疾患と診断されるだろう。
 ひとの生活は、起きているときと寝ているときに大きく分かれる。眠りに落ちると世界は消え(あるいは夢の世界に変わり)、目が覚めると(現実の)世界が現われる。目を閉じると世界は消え、目を開けば世界が現われる。
「なにを当たり前のことを」と笑うかもしれないが、この体験はとてつもなく強力だ。スピリチュアル=無意識は(おそらく)、自分が世界の中心にいて、すべてを創造したり、消滅させたりしていると思っているのだ。
 わたしたちはみな、人生という「物語」を生きている。スピリチュアルが「神(世界の中心にいる創造者)」なら、人生という舞台のヒーローやヒロインは、当然、自分になるに決まっている。もちろん、すべての男がスーパーヒーローで、すべての女がお姫様を演じるわけではない。社会が複雑になるほどさまざまな物語が生まれ、そこには多種多様な役柄があるだろう。そのなかには「はぐれ者として生きる」「愛するひとを支える」という物語があるかもしれないが、それでもつねに「主役」は自分なのだ。
 だとすればパーソナリティとは、スピリチュアル=無意識が創造する「人生という物語」のヒーロー/ヒロインの「キャラ」ということになる。
 脳の基本OSは人類共通でも、そのなかのいくつかの傾向は個人ごとにばらつきがある。そのささいなちがいをわたしたちは敏感に察知して、「性格」とか「自分らしさ」と呼んでいる。ビッグファイブというのは、一人ひとりが演じる物語のキャラを“見える化”したものなのだ。

【『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』橘玲〈たちばな・あきら〉(幻冬舎、2021年幻冬舎文庫、2023年)】

「スピリチュアル=呪術的=無意識」との説明が巧みだ。要はブラックボックスであるということだ。数式でいえば、f(x)のf(function=作用・機能)がわからないわけだ。関数はもともと「函数」と書いた。ブラックボックスと対応している。

 実は4分の3ほどで挫けた。文体が優れているわけではないが文章はこなれている。しかも驚くべき読書量で、取り上げられている書籍の1/3ほどを私は読んでいるが説明能力が高い。それでも尚、嫌な臭いに耐えられなかった。本書はいわば「まとめ本」である。独創性はないのだが、書籍や研究の並べ方(アレンジ)が秀でているのだ。嫌な臭いの正体がはっきりしないため必読書ではなく教科書本としておく。

 性格とは対人関係(社会)における生体反応であるが、幼少期に自ら選択したスタイルなので根が深い。親子関係が礎となっていると考えられるが、兄弟であっても性格が異なることから、個別のショック体験が影響を及ぼしているのだろう。

 私は3歳頃から「変わっていない」と親戚から言われる。小学生時代の級友にも「全然変わっていない」と言われる。で、私は幼い頃のことをよく覚えている。あの時なぜ怒ったのか、泣いたのかといったことを。つまり、性格とは感情を発揮する理由なのだ。

 物語の主体者とは、世界を見つめているのが自分の視点であることを意味する。そして性格が認知を左右する。もっと言えば、今ここで世界に「気づいている」主体は自分の意識だ。この気づきを自覚することが悟りにつながる。

 迷える衆生(しゅじょう)にとって無意識領域は呪術的だ。なぜなら脳の新皮質が優位な生き方をしているからだ。思考と感情(情動)の分離こそ悩みの根本原因であろう。瞑想は止まらぬ思考を鎮(しず)める行為である。深層意識とは「言葉が及ばぬ」領域なのだ。