古本屋の殴り書き

書評と雑文

日本刀の斬れ味/『剣豪夜話』津本陽

『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
・『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義津本陽
『深淵の色は 佐川幸義伝』津本陽

 ・日本刀の斬れ味
 ・武田惣角の振り棒

 巻藁を斬るときも、何の手ごたえもないのをふしぎに感じていた。薪割りのときによく磨(と)ぎあげた、ヨキと呼ぶ柄の長い手斧を使うとき、しなりのある日本材を割ると二の腕につよい手ごたえがあった。
 だが日本刀で胴ひとつの巻藁を斬れば、ヒューンと振る感覚があるだけだ。太い骨のある豚を斬れば手ごたえがあるだろうと思いつつ、刀を打ちおろしたが、何の手ごたえもなかった。パチーンという音ともに刀の刃が板に当る音がしただけであった。
 私は二度斬ってだまされたようなおなじ感覚を味わった。

【『剣豪夜話』津本陽〈つもと・よう〉(文藝春秋、2016年/文春文庫、2019年)以下同】

 津本は「剣道三段、抜刀道五段の腕前を持ち、武道への造詣が深く、剣豪だけの持つ高い境地や剣技の精密な描写をすることに長じる」(Wikipedia)。

 剣道については掛け声がうるさいので全く興味がない。子供の頃にドラマ『おれは男だ!』(1971年)で見たっきりだと思う。大の大人が怪鳥みたいな奇声を発するのが薄気味悪い。

 ただし日本の武術は剣術から始まるゆえ、剣道とは異なる形で剣術を体育に取り入れるべきだと考える。剣術、柔術、空手を教え、最低限の護身をできるようにすることが望ましい。

「何の手ごたえもなかった」――剣道有段者の本音がいみじくも日本刀の斬れ味をよく表している。そのテクノロジーは肉や骨を断つことに特化しているのだろう。刀身の長さや片刃であるところに日本刀の独自性がある。

 私が最後の演武をおこなったのは、64歳のときであった。坂本龍馬中岡慎太郎暗殺現場の再現シーンを演じたものである。このときは巻藁60本を連続斬りして、まったく疲れなかったことを覚えている。
 宗次の刀は剃刀のような繊細な切れ味をあらわし、私は両袈裟、両斬りあげ、両横一文字と斬りまくったが、刀をただ振っていたように感じるだけで、なんの抵抗もないので、疲労を覚えなかったのである。

 日本刀は見るからにシンプルで華美とは無縁だ。一切を削ぎ落として水を目指したような印象すら受ける。名刀は遺恨すら切り落とすに違いない。

 絶妙な斬れ味は軟鉄と鋼鉄のバランスから生まれる。日本刀の技術は庖丁に生かされている。硬度を追求(鋼鉄)すると刃こぼれが生じ、斬れ味を重視(軟鉄)すれば研ぐ必要が出てくるのだ。

 刀は大東亜戦争まで武人の魂であった。小野田寛郎ルバング島で任務を解除された際、フィリピンのマルコス大統領に軍刀を差し出している。

 刀を失った時、丸腰となった日本人は米国に安全保障を委ね、自ら国を守る気概を捨て去ったのだ。