・グラーグの歴史
グラーグ(GULAG)はもともと「収容所〔ラーゲリ〕管理総局」(Glavnone Upravlenie Lagerei)の略称だが、そうれがしだいに集中収容所を管理する官庁の名称だけではなく、ソ連の奴隷労働システムそれ自体をそのあらゆる形態や多様性――労働収容所、懲罰収容所、刑事囚および政治囚の収容所、女性収容所、児童収容所、中継収容所――をひっくるめてあらわす用語にもなった。さらに広い意味では、ソ連の弾圧システムそのもの、かつて囚人たちが「肉挽き器」と呼んだ手続き全体――逮捕、尋問、暖房なしの家畜用貨車での移送、強制労働、家族の離散、長期流刑、早すぎる非業の死――をあらわすようにもなった。
グラーグの前身は帝政ロシアにあった。17世紀から20世紀初頭にかけてシベリアで使役されていた強制労働者集団である。これがロシア革命の直後ともいってよい時期にいっそう近代的なおなじみの形をとり、ソヴィエト体制と一体化した。ほんものの反対派はもとより、反対派の嫌疑をかけられた人たちまでをも対象とする大量テロルは、そもそものはじめから革命の一環であって、革命指導者レーニンは1918年夏にすでに「信頼できぬ分子」を主要都市の外側の集中収容所にぶちこめと要求した。貴族、商人その他潜在的な「敵」ときめつけられた人びとが続々としょっぴかれ、しかるべく投獄された。1921年にはもう43県に84の収容所があったが、その大多数はこれら最初の「人民の敵」どもの「更生」を目的としたものだった。【『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』アン・アプロボーム:川上洸〈かわかみ・たけし〉訳(白水社、2006年/原書、2003年)】
社会主義・共産主義は「罪を製造する」のだろう。過剰な理想や正義が罪を認定し、裁かずにはいられないのだろう。教条(ドグマ)と化した思想は、それに反する者を敵と判断する。イエスはユダヤ教の敵であり、ブッダはバラモン教の敵であった。
社会主義は戦争以上に人々を殺戮(さつりく)してきた。そして21世紀となった現在、グローバリズムという名の社会主義が世界を席巻しつつある。新型コロナに関するワクチン摂取の各国の対応は、中国共産党も顔負けの独裁ぶりを発揮した。ロックダウンという措置は、移動の自由を認めないもので、空襲警報を超える強制的なものであった。
やがては民主政がテロと結びつく日もそう遠くないような気がする。新世界秩序を目論む連中は大掛かりなグラーグの設計図を既に用意している可能性もある。