古本屋の殴り書き

書評と雑文

分析脳(左脳)の弱点/『あなたはプラシーボ 思考を物質に変える』ジョー・ディスペンザ

『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
・『心感覚(シンかんかく)』ノ・ジェス

 ・ただ気づくだけで健康状態が一変する
 ・遺伝子のユニークな構造
 ・意識が体を変える
 ・分析脳(左脳)の弱点
 ・瞑想とは

・『瞬間ヒーリングQEのすべて キンズロー・システム実践ガイドブック』フランク・キンズロー
『瞬間ヒーリングの秘密 QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し』フランク・キンズロー
・『クォンタム・リヴィングの秘密 純粋な気づきから生きる』フランク・キンズロー
・『ユーフィーリング! 内なるやすらぎと外なる豊かさを創造する技法』フランク・キンズロー

悟りとは
必読書リスト その五

 被暗示性のレベルは分析思考のレベルと反比例関係にあると捉えられる。分析思考のレベルが高くなる(分析する)ほど、被暗示性は低くなる。分析思考のレベルが落ちるほど、被暗示性は高くなる。
 分析思考(または批判思考)は顕在意識の領域で、自覚できる部分だ。それは顕在意識の本拠地である大脳【新皮質】が行う思考という機能の一環だ。新皮質は物事について考え、観察し、記憶し、問題を解決するところであり、分析し、比較し、判断し、再検討し、チェックし、疑問を抱き、対比し、精査し、理論化し、理屈をこね、反省するのが仕事だ。新皮質は未来予測や未経験のことに対応するにあたり、過去の経験から学習したことをベースにする。(中略)
 新皮質は【右半球】と【左半球】と呼ばれるふたつの部分に分かれている。道理で私たちは二元性、ニ極性に照らした分析や思考に多くの時間を費やしている。二元性とは、善対悪、正対偽、ポジティブ対ネガティブ、男性対女性、異性愛対同性愛、民主党共和党、過去対未来、理性対感性、旧対新、脳対ハートといった対比、と言えばお分かりだろう。ストレスモードで生きているとき、脳から全身に送られる化学物質は分析思考を促進させる傾向がある。私たちは過去の経験に照らし、起こり得る最悪のシナリオから我が身を守れるように未来を予測しようとする。その結果、分析思考に拍車がかかる。

【『あなたはプラシーボ 思考を物質に変える』ジョー・ディスペンザ:東川恭子〈ひがしかわ・きょうこ〉訳(めるくまーる、2021年/原書、2014年)以下同】

 直前では催眠術をかけて殺人を犯す心理学実験が紹介されている。温厚篤実な男性が標的の胸を正確にモデルガンで撃ち、その後記憶を失うというものだった。実験は見事に成功する。

 当然ながら、分析思考が悪いわけではない。(中略)
 しかし、ストレスホルモンを浴び過ぎて自我が不調和をきたしているとき、分析思考がトップギアとなり、物事に過剰反応するようになる。このとき、分析思考は役立つどころか私たちにとってマイナスの働きをする。このとき、私たちは分析過剰に陥っていて、自我は“自分ファースト”を徹底するため、極めて利己的になっている(それが自我の仕事だ)。自我は自分のアイデンティティを守るためにはすべてをコントロールしなくてはならないかのように考え、感じる。そして望む結果を引き出す力を持とうとする――安全な状況をつくるために何をすべきかを予測し、既知の領域にしがみつき、手放そうとしないので、恨みに思ったり、苦痛を味わったり、被害者意識に囚われたりする。
 自我は自分の知らないことは潜在的脅威とみなし、常に未知の状況を回避する。自我にとって、未知は信用できないものなのだ。
 そして自我は自分が依存症に陥っている感情を浴びるためなら何でもしようとはっぱをかける。欲しいものは欲しいと主張する。ごり押ししてでも最前列に進み、誰より先に目指すところにたどり着こうとし、そのために代償を厭わない。自分と自分の利益を守るためなら狡猾(こうかつ)に他者を操り、張り合い、だまし討ちだってする。

 これは私が何かを書くよりも、ネドじゅんの話を聴いた方が早いだろう。

普通のオカンが悟った方法【ネドじゅん】
全ての人類が“覚醒”する!? 究極の実践法が明らかになりました【ネドじゅん】

 たまたま最近になってネドじゅんを知ったこともあるが、本書はネドじゅんのために書かれたような気がしてくるほど彼女の話を裏づけている。