古本屋の殴り書き

書評と雑文

近衛文麿は「実のない男」/『爽やかなる熱情 電力王・松永安左エ門の生涯』水木楊

『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎

 ・近衛文麿は「実のない男」

『動乱はわが掌中にあり 情報将校明石元二郎の日露戦争』水木楊
・『出光佐三 反骨の言魂 日本人としての誇りを貫いた男の生涯』水木楊
・『出光佐三という生き方』水木楊監修
近衛文麿

 あるとき公式の晩餐の席上、隣に座った英国代表団の一人に、
「この人は日本のプリンスの近衛文麿である」と紹介したところ、相手はさしたる関心も示さず、近衛にわざと聞こえるように言った。
「プリンスであるかないかは、あまり意味のあることではない。この人がどういう仕事をしたのか、どんな意見を持っているかを聞きたいものだ」
 なるほど、この人たちはこういう考え方をするのかと松永は感心した。

【『爽やかなる熱情 電力王・松永安左エ門の生涯』水木楊〈みずき・よう〉(日本経済新聞社、2000年日経ビジネス人文庫、2004年)以下同】

 ともすると日本人は位や器(所属会社や出身大学など)に頭を下げる傾向が強い。「お上」という言葉自体がそれを物語っている。戦国時代や明治維新、はたまた幾度かの戦争を経ても治らぬ宿痾(しゅくあ)といってよい。実力と見識を問うイギリス人の言葉は鋭い。

 近衛文麿は毀誉褒貶(きよほうへん)が多い人物で定まった評価がないように感じていた。ただ、専門家ではない人が書いた歴史本では悪く書かれている。本書で特筆すべきエピソードが紹介されていた。

 近衛という男の本質を、松永はひとつの出来事で一瞬にして見抜いた。実のない男とみなしたのである。自分勝手なところは松永も同じだが、優柔不断。あちらこちらで人を喜ばせるようなことを言って、ニッチもサッチも行かなくなると責任を取らずに逃げようとする。いつも機嫌は良くて上品このうえないのだが、どこかぬるりとした冷たさが底に潜んでいる。公家の通有性である。
 松永が近衛の本質を見抜いたひとつの出来事とは、売春婦との約束を守らなかったことである。会議が終わったあと、一行はロンドンを訪れた。
 例のごとく近衛が松永のところにやってきて、売春婦と遊ぼうと言った。土地に詳しい者に頼んで、その種の場所に行く。そのうち二人はそれぞれの相方が気に入って、馴染みになってしまった。
 ある木曜日、二人は相方たちに明日金曜日遊びにくるから、待っていてくれと約束した。ところが翌日、近衛は行かないと言う。
「君は行くと約束したではないか」
 と責めると、
「疲れてしまいました」
 と答える。
「疲れたって? 若いのに何を言う。いやしくも紳士たるものがいったん約束して守らないというのは何だ。相手の女性に軽蔑されるぞ。水商売とはいえ、約束は約束じゃないか」
 近衛はそっぽを向いた。
「軽蔑されたって構いませんよ。実は、あの女のことが少し嫌になっているんです」
「嫌になっているんなら、何故約束なんかしたんだ」
 近衛は両手を合わせた。
「松永さん、あなたは行って、何とか始末してきてくれませんか」
 いたし方なく、ひとりで行った。近衛の女は松永の女と一緒に待っており、
「プリンスはどうして来ないの」
 と尋ねる。
「実は、頭痛がするらしい。許してやってくれ」
 松永の嘘を女は直感的に見抜いた。
「嘘でしょう。ミスター近衛は日本の貴族だそうですが、英国の貴族はそんなケチな嘘はつきません。今日は他の約束を取らないで、彼を待っていたのです。わたしの損害はどうしてくれるのですか」
 松永は頭を下げた。
「この僕がその分をお払いしよう」
 女は激しく首を振った。
「あなたから払ってもらう理由はありません。あなたと私は赤の他人です。他人のあなたから、理由もなくお金をもらうわけにはいきません」
「そう言わずに、払わせてくれ」
「いいえ、受け取るわけにはいきません。今日のところは、わたしが損をしておきましょう。その代わり、あの人とはもう二度と会いませんから、そう言ってください」
 売春婦だろうが、堂々と筋を通すのには参った。恐縮した松永は、自分の遊びだけを済ませて引き上げた。
 宿に戻ってくるおと、近衛は遊び疲れた様子で眠っていた。
「どうしたんだ」
 と聞くと、いけしゃあしゃあと答えた。
「あれから別の場所に遊びに行ってきました」 
 この男は、実のない人間であると松永は判断したのである。

 近衛は松永よりも16歳若い。支那事変~大東亜戦争を起こしておきながら渦中で首相の要職を放り投げた姿と重なる。

 時代の風潮とはいえ、日本もイギリスも貴族階級が女遊びをしていた事実が見えてくる。イギリスの売春婦にも日本の芸者のような心意気があったことに驚いた。一度情を通じた相手には操(みさお)を立てていたのだろう。

 何気ない振る舞いにその人の真価が露呈する。表情にノイズのようなものを感じることも多い。嘘や卑しさは隠し切れないものだ。

 読み物としてはそれほど面白いわけではないのだが、文章がいいのでついつい読ませられてしまった。松永安左エ門〈まつなが・やすざえもん〉は明治末期から昭和30年代に渡って日本を駆け抜けた実業人だ。石炭で身を起こし、電力事業で辣腕(らつわん)を振るい、戦後はGHQと堂々と渡り合い、9電力会社の立ち上げを勝ち取った。

 戦前の電力会社と政治家が絡む権謀術数が交錯したが、松永の思い通りの形(人事)で9電力会社が設立されたのは昭和26年(1951年)だった。松永は70代半ばに差し掛かっていた。

 83歳で、アーノルド・J・トインビーの『歴史の研究』(全25冊)の刊行に私財をなげうって尽力した。フランスですら全訳を諦めたというのだから偉業である。