古本屋の殴り書き

書評と雑文

きらめく言葉の数々/『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』エリック・ジョーゲンソン

『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー
『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正
『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』ピーター・ティール with ブレイク・マスターズ
『ジャック・マー アリババの経営哲学』張燕
『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓
ナヴァル・ラヴィカント「幸福の選択とは何なのか」

 ・カネではなく富を求めよ
 ・レバレッジ
 ・きらめく言葉の数々

『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』佐藤航陽
『お金の不安と恐れから自由になる! 人生が100%変わるパラダイムシフト』由佐美加子
『Dark Horse(ダークホース) 「好きなことだけで生きる人」が成功する時代』トッド・ローズ、オギ・オーガス

必読書 その三

 君らしさで君に勝てる人はいない。
 人生の大半は、君を最も必要としてくれる人やものを探す旅だ。


【『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』エリック・ジョーゲンソン:櫻井祐子〈さくらい・ゆうこ〉訳(サンマーク出版、2022年/原書、2020年)以下同】

 齢(よわい)を重ねるにつれて言葉に対する不信感が募ってきた。情報化社会では言葉の洪水が押し寄せる。西洋化が進んだ明治以降、言葉は相手や大衆を説得する武器として作用した。重視されるのは合理性である。そこでは根拠と論理が問われる。左翼用語の理論武装というキーワードが言葉の振る舞いをよく示していると思う。

 言葉の信頼感を喪わせたのは皮肉なことに言葉の専門家であるジャーナリストや学者であった。嘘やデマを大衆に信じ込ませることが修辞学となった。しかも彼らの言説は罪に問われることがほぼない。詐欺を繰り返す犯罪者のように人々を欺き、手玉にとり、特定の方向へ転がす。

 もともと日本語は論理に疎い。万葉集古今和歌集で謳(うた)われているのは叙情であって理窟ではない。四季の微妙な変化に気づく感性はあっても、他人の感情を操作しようとするストーリー性は皆無だ。

 西洋の言葉は弁論術や修辞学から出発している。ソクラテス古代ギリシャに生まれたのは日本で縄文時代が終わった直後の頃だ。合理性を発展させたのは、ヨーロッパで戦争が多かったことも背景にあるのだろう。その後、キリスト教が神学を精緻なものに高め、「針の上で天使は何人踊れるか」(Wikipedia)という馬鹿げたテーマにまで行き着く。こうした歴史からディベート文化が醸成されるに至る。

 ところが稀にブッダ孔子の如く言葉を操る人が現れる。わかりやすいところだと例えばイチローイビツァ・オシムがいる。ナヴァル・ラヴィカントもその一人だ。佐藤航陽〈さとう・かつあき〉もその後に続いている。

 不思議に思えるけれど、【ただ楽しいから何かをするときにこそ、最高の仕事ができる】。

 何度でも孔子の言葉を紹介しよう。「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(『論語』)。

 富める者と貧しい者、ホワイトカラーとブルーカラーの区別はもう古い。今や、レバレッジを持つ者と持たざる者の区別だ。

 それは、「頭を使う者」と「頭を使えない者」との違いでもある。

 人生ではどんなときでもできる限り、賃金労働ではなく独立を選ぼう。独立して、インプットではなくアウトプットに説明責任を持つ――これをめざそう。


 人間はレバレッジのない社会で進化した。薪割りや水くみをしていたときは、8時間分のインプットが8時間分のアウトプットにほぼ相当した。
 今やわれわれはレバレッジを発明した――資本、協働、テクノロジー、生産力、こういった手段だ。
 現代はレバレッジの時代だ。君は労働者として、それほど時間と肉体的な労力をかけずに莫大なインパクトをおよぼせるように、最大限のレバレッジを効かせたい。
 レバレッジを持つ労働者は、持たざる労働者の千倍、万倍の成果を上げる。そしてレバレッジを持つ労働者にとって、仕事に費やす時間や労力よりはるかに重要なのが、【「判断」】だ。

 時給労働を選ぶ「判断」をすればそれまでだ。たとえ正社員であったとしても、安定した生活を営むことはできたとしても、自分自身を十全に発揮できる人生を送ることは不可能だ。賃金を得るために自分を殺す場面も決して少なくない。転勤や左遷の憂き目に遭うこともあるだろう。要は自分がどのような人生を「選ぶ」かである。

 若いときに下す大きな決定は、基本的に3つある。【「どこに棲むか」「誰と恋愛するか」「どんな仕事をするか」】だ。

「自分を高める」ことをしっかりと肚に入れて、環境任せにしないことが大切だ。

 地球上には70億の人間がいる。いつか70億の会社ができることを願っている。

 これこそナヴァル・ラヴィカントの正真正銘の本音だろう。

【何かがこうなってほしいと望めば望むほど、真実が見えなくなる】。

 欲求は不足から生じる。

 パッケージごと取り入れた信条(民主党員、カトリック信者、アメリカ人等々)はすべて疑わしい。基本原理から問い直せ。

 信条は帰属意識を強めて、異なる価値観を排除してしまう。

 正直になるには、アイデンティティを排して話せ。

 アイデンティティとは「自分は正しい」という思い込みの異名だ。

 実をいうと、私は人が思うほどには読書していない。せいぜい1日に1~2時間だね。【だがそれでも世界のトップ0.00001%には入る】。
 私が人生で何らかの物質的成功を収め、何らかの知性を得ているとしたら、それはひとえにこの読書量のおかげなんだ。現実の人間は1日1時間も読まない。たぶん、1日1分も読んでいないだろう。読書を本物の習慣にすることが、一番重要だ。

 私にとって読書は「一流の人物との対話」である。

【世界は君の感情を照らし返す鏡でしかない。現実は中立的(ニュートラル)だ】。

 これは瞑想から導かれた答えだろう。

 人生に何かが欠けているという感覚がなくなったとき、幸福がやってくる。

 少欲知足。

【欲望とは、「欲しいものを手に入れるまで不幸でいます」という契約を自分自身と交わすこと】だ。ほとんどの人は、このことを自覚していないと思う。

 つまり欲望の大小がそのまま不幸を表しているのだろう。欲望をコントロールできない人が重い病や怪我に耐えることは不可能だろう。たとえ体が不自由になったとしても「生きる有り難さ」を感じることはできるのだ。

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 生きている限り、生の川の水を味わうことが可能なのだ。なんと不思議なことだろう。