古本屋の殴り書き

書評と雑文

溥儀の評価/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

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 ・溥儀の評価
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日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 満洲国皇帝には、清(しん)国最後の皇帝であった宣統帝(せんとうてい)溥儀(ふぎ)が迎えられた。溥儀はのちに東京裁判で、すべては日本軍の強制によるものだと証言したが、諸般の証拠はそれが真実でないことを物語っている。
 裁判で証拠資料として却下された『紫禁城(しきんじょう)の黄昏(たそがれ)』は、もし溥儀がいやならば上海(シャンハイ)から英国の船に乗りさえすればすんだ話であり、「帝が天津(てんしん)を去って満洲へ行かれたのはご自身の自由意思である」と書いている。
 廃位された皇帝が父祖の地、満洲の皇帝となるのを欲するのは当然であり、漢民族ナショナリズムの側に立ってそれに抵抗することなど、今だから、そういう非現実的な史観もあるようであるが、当時の状況では想像することも不可能である。また、ソ連に抑留中であり、裁判後には、今度は戦犯容疑者として中国に引き渡される身として、共産側からいえといわれたこと以外いえなかったことは容易に推定できる。
 東京裁判のブレイクニー弁護人は「人間に良心あるかぎり、ウソを吐(つ)き、それを追求されるのは苦痛だ。……しかし、良心をうち砕く利己心の持ち主もいることを発見した」と感想を述べている。人間そこまで落ちぶれるものか、という慨嘆である。キーナン検事自身「帝王の威厳はさらになく、その眼には自尊の光もなかった」とメモし、重光(しげみつ)は、その日の日誌に「憐(あわ)れむべし、彼はソ連の俘虜(ふりょ)として死命を制せられ、さらに支那側の処刑より免(まぬか)れんことを工夫し居(お)るもののごとく……かつて満州国皇帝として……の気品風貌は毫(ごう)も認めることを得ず」と記している。
 当時厳しい占領軍の検閲下にあった日本では、活字としては残っていないが、巷(ちまた)には風呂屋でも各家庭でも、溥儀に対する侮蔑(ぶべつ)の声が渦巻いていた。

【『重光・東郷とその時代』岡崎久彦〈おかざき・ひさひこ〉(PHP研究所、2001年/PHP文庫、2003年)以下同】

 その人の人生は晩年に凝縮される。愛新覚羅溥儀〈あいしんかくら・ふぎ〉は清国(しんこく)のラストエンペラーである。日本の庇護を受け、担いでもらったにも関わらず、東京裁判では日本を売った。所詮、満洲国のアイコンに過ぎなかったのだろう。

 ベン・ブルース・ブレイクニーは占領軍の少佐でありながら日本の弁護人を務めた。特に法廷で舌鋒鋭く迫った以下の発言が広く知られている。

「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。

以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった

 キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」

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 岡崎久彦は直後に鄭孝胥(ていこうしょ)と張景恵(ちょうけいけい)を挙げて、次のように記す。

 溥儀との品格の差は歴然である。人間はこうありたいものと思う。この激動の時代に、自らの信念をもって真摯(しんし)に生きた人びとは、日本人、シナ人を問わず少なからずいたのであろう。そういう人たちのことは、日本の敗戦と満州国の崩壊のために、歴史の片隅に埋没してしまった。その片隅さえも与えられなかった人も多いのであろう。そういう人たちに墓碑銘を捧げる意味で、鄭・張両満洲国総理の人柄を偲(しの)んで記しておく。

 私はテレビの討論番組で2回ほど岡崎を見たことがある。とても好きになれるような人物ではなかった。むしろ嫌悪感を抱いたほどだった。牢固とした信念や前提を端折って話すため説得力を欠いていた。「外務官僚の妄想をかたっているのか?」とすら思った。親英・親米保守で日本の独立を説くこともなかった。

 しかし、文章は卓越している。外交史でありながら読み物としても十分面白いのだ。視界は左右をきちんと捉え、踏み違(たが)えた歴史の階段に言及している。時折調子が高すぎる嫌いはあるが、瑕疵が見当たらずケチのつけようがない。ルビの多用も好ましい。多くの読者を想定したのだろう。