古本屋の殴り書き

書評と雑文

戦前の「革新」とは天皇制共産主義/『村田良平回想録』村田良平

『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦
『陸奥宗光』岡崎久彦
『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦
『重光・東郷とその時代』岡崎久彦
『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
伊藤貫「日本人が知らない三つの嘘! 憲法・核の傘・日米同盟」

 ・戦後三高生の見識
 ・戦前の「革新」とは天皇共産主義

『米国の日本占領政策 戦後日本の設計図』五百旗頭真
『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克
竹山道雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 三上(卓)古賀海軍中尉は、総理大臣射殺の大罪を犯したにもかかわらず、全国的な救命嘆願があり、死刑が当然であるのに、僅か15年の禁固刑となって、しかも三上は、僅か7年の禁固の後、仮出所を許された。五・一五事件より前の原敬首相の暗殺浜口雄幸首相へのテロは、既になお若い大正デモクラシーの良き時代の終焉を予告する不吉な前兆だったが、この流れが遂に昭和11年二・二六事件で頂点に達し、軍部による日本支配が、(陸海軍の対立や、陸軍内部の皇道派と統制派の闘争はあったにせよ)確立して行き、政党政治は形だけは残ったが事実上死に絶えてしまったわけだ。
 私は「昭和維新の歌」の内容は正に当時の隊付将校の典型的思想であり、戦前の「革新」とは、かかる思想に大きい影響を与えた北一輝なり大川周明なりの役割りをどう評価しようと、うんと単純化すれば、天皇を頭にいただいた上での一種の共産革命――ただし若干のファッシズム的要因も含み、軍のみでなく民間左翼と協力するもの――と分析した。そして、二・二六事件を一部の有力な軍の幹部が秘かに好ましいものと考え、国民の一部も同情や支援の気持を抱いた当時を振返って、大東亜戦争に至る道程は幾つもの曲り角があり、戦争を止めえた可能性はあったにしても、かかる青年将校の思想とその背景をなす日本の政治、社会体制が続き、日本をとりまく白人国の包囲網が変らない限り、早晩国力を過信していた日本を何等かの破滅に導いたであろうと考えた。シナ事変も始まっていない、二・二六事件の8ヶ月後の昭和11年10月、昭和8年から3年半日本に滞在したドイツの有名な建築家ブルーノ・タウトは日本を去るに当り、送別会の席上、「日本はやがて戦争に入るだろう。ここに集って下さった方々が無事生きながらえることを祈るばかりだ」と挨拶した。タウトの念頭には、日本と米英よりも、日本とソ連の戦争があったのかもしれないが、軍国主義日本の破局をすでに予見していたのだ。(京大時代)

【『村田良平回想録(上巻) 戦いに敗れし国に仕えて』村田良平〈むらた・りょうへい〉(ミネルヴァ書房、2008年)】

暴力に屈することのなかった明治人/『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹

 かつて、「田中智学・本多日生-北一輝〈きた・いっき〉-大川周明〈おおかわ・しゅうめい〉は昭和初期の軍人に多大な影響を及ぼしたが、これを日蓮主義で括ると視野が狭まる。むしろ大正デモクラシーの流れを汲んだ社会民主主義と捉えるのが正当だろう」と書いた(創価学会の思想は田中智学のパクり/『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一)。この見方は今でも変わっていない。

 三国干渉(1895年/明治28年)の屈辱が長い影を落としていることも見逃せない要因である。抑圧は必ず反発の温床となる。第一次世界大戦におけるドイツへの莫大な賠償がヒトラーを誕生させた。その意味から申せば、三国干渉が大東亜戦争に至る原因であったと見なすこともできよう。

 村田は小学生の時分から秀才で鳴らした人物だが、その直観と見識は日本人離れしている。驚くべき視点の高さがあり、世相に惑わされない胆力すら感じさせる。

 下巻の第13章、14章だけでも必読書たり得る。