古本屋の殴り書き

書評と雑文

コミュニケーションの主目的は「なびかせる」こと/『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『物語の哲学』野家啓一
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・コミュニケーションの主目的は「なびかせる」こと
 ・デジタル版「新パノプティコン」
 ・レトリックとは
 ・九仞の功を一簣に虧くトランプ大統領批判

『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト・トール

デジタルトランスフォーメーション
必読書リスト その五

 私たちが一生の間たえまなく行うコミュニケーションには、何よりも重要な主目的がある。それは、他人の心に影響を与えること――考え方、感じ方、ひいては行動を自分になびかせることだ。コミュニケーションを行うとき、私たちは必ず、空気のように実体のない言葉を使って、たとえわずかでも他人を動かし、世界を自分に都合よく再構成する。
 私たちが言葉を話したり、タイプしたり、歌ったりすることに、誰かをなびかせるため以外の理由があることはめったにない。自分にだけ向けた言葉にさえこれは当てはまる。内面の声は科学的に研究しづらいが、心理学者らが「独り言は衝動を抑え、行動の方向性を導き、目標の進捗を監視する役割を果たす」ことを裏付けてすでに久しい。つまり独り言は、私たちが行動を正してまっすぐに飛ぶために、自分自身をなびかせる方法なのだ。
 なびかせることがコミュニケーションの主目的であるのが明白な場合もある。セールスパーソンや政治家がコミュニケーションを行うとき、彼らは明らかに私たちをなびかせて契約なり票なりを獲得しようとしている。しかしそれほどあからさまでないにせよ、バーのような状況でも事情は同じだ。飲み屋での会話は取るに足らない内容であることが多いが、それでも大事な働き、すなわち人類の繁栄にずっと不可欠だった社会的協力関係のい構築と維持を行っている。飛行機に乗り合わせた見知らぬ人との世間話さえ、相手が自分を殺して持物を盗もうと思いつく前に味方になっておこうという本能の表れかもしれない。
 私たちが一生を駄弁(だべ)って過ごすのは、コミュニケーターとしての力量が、なびかせる力、つまり他人に動かされるのではなく他人をどれだけ自分の意に従わせられるかの指標だからだ。このことに必ずしも、いやふつうは、マキャベリ的意味などないのはわかっておいていただきたい。

【『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル:月谷真紀〈つきたに・まき〉訳(東洋経済新報社、2022年)】

 ドンピシャリである。私の嗜好(しこう)に完璧な形でハマる一書だ。なんといっても視野の広さと硬質な文体がいい。

「思想とは物語である」と私が気づいたのは15年前のことだ。それまで世の中はお金で動いていると思っていたのだが、株価が「思惑」で上下するのを見た時、「思惑=物語」の図式が明確になった。それ以降、時間の矢、因果関係に支配される脳の構造、概念という妄想などを考えてきた。

 その頂点がユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』だと思えた。よもや、その後ハラリが世界経済フォーラムの走狗となるとは思わなかった。彼の仏教理解や瞑想を疑いたくなる。

 ジョナサン・ゴットシャルは冒頭で自分が呑みに行ったバーの客たちの様子を描いている。ふと、「彼らは何をしているのか?」との疑問が湧く。それぞれが行っているのは、どこにでも見られる他愛のないやり取りだった。著者は忽然(こつぜん)として悟る。皆が皆、懸命に行っているのは「なびかせる」ことだった。

「なびかせる」――生々しい言葉から真実が浮かび上がってくるのが見える。多くのコミュニケーションが「相手を操作する」目的で行われいてる。親は子を褒め、あるいは叱責する。好きな異性の前では自己PRに余念がなく、自分の弱さを晒(さら)す時でさえ狡猾な計算が働いている。教育や教科書は人類が培ってきた知識を教えながら、優れた兵士と納税者を育む。教祖のありがたい話は万人を幸せにするように見せかけながら、人々の敬意を集めようと執心している。

 言葉には裏と表がある。そして脳はストーリーが構築する世界を拒むことが極めて難しいのだ。「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでおりました」――そりゃ住んでるだろうよ。いつの時代にだって爺さんと婆さんは存在するわけだから(笑)。否定できない前提から実際には存在するはずのない桃太郎やかぐや姫が創造される。桃+川=どんぶらこ、という数式が日本人の脳には埋め込まれている。退治される鬼に惻隠の情が湧く者はいない。鬼の事情や鬼の悩みや鬼の苦悩を我々は推し量ろうとすらしない。

 神話や昔話は国家や地域の価値観を伝える強力なツールだ。そしてそれを支えているのが宗教なのだ。