古本屋の殴り書き

書評と雑文

インナーボディは「大いなる存在」への入口/『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト・トール

『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう? ダイレクトパスの基本と対話』グレッグ・グッド
『わたしは「いま、この瞬間」を大切に生きます』エックハルト・トール

 ・インナーボディとつながるエクササイズ
 ・インナーボディは「大いなる存在」への入口
 ・インナーボディとつながる
 ・インナーボディに根を下ろす
 ・体に住まうこと
 ・体全体で傾聴する

『古武術と身体 日本人の身体感覚を呼び起こす』大宮司朗
『白隠禅師 健康法と逸話』直木公彦
『弓と禅』中西政次
『釈尊の呼吸法 大安般守意経に学ぶ』村木弘昌
『左脳さん、右脳さん。 あなたにも体感できる意識変容の5ステップ』ネドじゅん
『カシミールの非二元ヨーガ 聴くという技法』ビリー・ドイル
『瞬間ヒーリングの秘密 QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し』フランク・キンズロー
・『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教えエックハルト・トール
『ニュー・アース』エックハルト・トール
『覚醒の炎 プンジャジの教え』デーヴィッド・ゴッドマン
『誰がかまうもんか?! ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』ブレイン・バルドー編

お腹から悟る
悟りとは
必読書リスト その五

 からだに背を向けてはなりません。なぜなら、「はかなさ」、「限界」、「死」という、からだの表面的な特徴(思考の産物であり、幻想にすぎませんが)の奥には「不滅」という、輝かしい真実がかくされているからです。真実を求めようと、自分の外側を探してはなりません。真実は、わたしたちのからだの内側以外には、どこにもないからです。【あなたは、あなたのからだそのものなんです】。ただ、わたしたちが見て、触ることができる肉体は、虚像であり、薄っぺらなヴェールでしかありません。そのヴェールの奥には、「大いなる存在」への入口である、インナーボディが存在します。インナーボディをとおして、わたしたちは「目には見えない唯一の生命」、「生まれることも滅びることもない永遠の生命」とつながっています。そこから切りはなされてしまうことは、絶対にありません。インナーボディをつうじて、わたしたちは永久に神とひとつなのです。

【『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト・トール:飯田史彦〈いいだ・ふみひこ〉監修、あさりみちこ訳(徳間書店、2002年/原書、1999年)】

 精神性を突き詰めると身体否定の方向性に傾く。苦行で体を痛めつける宗教は珍しくないし、禁欲行動で支配する信仰もまた多い。エックハルト・トールは、「あのブッダでさえ、6年間にわたる断食や極端な行をとおして、肉体の否定を実践したと言われています」とも語っている。

 視点を変えてみよう。コンプレックスは往々にして「見た目」に関わることが殆どだ。チビ、デブ、ハゲ、出っ歯、短足、オカチメンコ等々。人は見てくれで相手を判断する。それが間違いだとわかっていても、第一印象に支配されてしまうのである。

 あるいは極端なダイエットや筋トレなどで肉体改造を目指す若者も多い。鷲田清一〈わしだ・きよかず〉の文章を思い出した。

 ダイエット脅迫からくる摂食障害、そこにはあまりに多くの観念たちが群れ、折り重なり、錯綜している。たとえば、社会が押しつけてくる「女らしさ」というイメージの拒絶、言い換えると、「成熟した女」のイメージを削ぎ落とした少女のような脱-性的な像へとじぶんを同化しようとすること。ヴィタミン、カロリー、血糖値、中性脂肪、食物繊維などへの知識と、そこに潜む「健康」幻想の倫理的テロリズム。老いること、衰えることへの不安、つまり、ヒトであれモノであれ、なにかの価値を生むことができることがその存在の価値であるという、近代社会の生産主義的な考え方。他人の注目を浴びたいというファッションの意識、つまり皮下脂肪が少なく、エクササイズによって鍛えられ、引き締まった身体というあのパーフェクト・ボディの幻想。ボディだってデザインできる、からだだって着替えられるというかたちで、じぶんの存在がじぶんのものであることを確認するしかもはや手がないという、追いつめられた自己破壊と自己救済の意識。他人に認められたい、異性にとっての「そそる」対象でありたいという切ない願望……。
 そして、ひょっとしたら数字フェティシズムも。意識的な減量はたしかに達成感をともなうが、それにのめりこむうちに数字そのものに関心が移動していって、ひとは数字の奴隷になる。数字が減ることじたいが楽しみになるのだ。同様のことは、病院での血液検査(GPTだのコレステロール値だの中性脂肪値だのといった数値)、学校での偏差値、競技でのスピード記録、会社での販売成績、わが家の貯金額……についても言えるだろう。あるいはもっと別の原因もあるかもしれないが、こういうことがぜんぶ重なって、ダイエットという脅迫観念が人びとの意識をがんじがらめにしている。

【『悲鳴をあげる身体鷲田清一〈わしだ・きよかず〉(PHP新書、1998年)】

 ボディビルダーマッスル北村は極端な食事制限を行い、低血糖からの合併症で心不全を引き起こして死亡している。餓死といってよい。

 現在はもっと進化していて、顔面をキャンバスに見立てた化粧や、顔面コスプレともいうべき整形手術も珍しいものではなくなった。いずれも肉体に関する嫌悪感から生まれた行動だろう。

 そして肉体は衰える。ビンの蓋を開けることができなくなり、膝を痛め、腰が曲がり、白髪(しらが)が増え、顔は皺(しわ)だらけとなり、歯が抜けてゆくのだ。いつの日か動くなくなった体は荼毘(だび)に付され、火葬場の煙となって消える運命(さだめ)にある。

 インナーボディとつながるエクササイズはまさしく内観という言葉が相応(ふさわ)しい。まだ、二日しかやってないので偉そうなことは言いたくないが、今までの幸福追求行動が外部へ向かっていたのに対して、体の内部を探る瞑想はまるで正反対だ。それは宇宙空間と量子世界の違いを思わせる。

 皮膚と筋肉の感覚を見つめ、血管と神経に思いを巡らせ、臓器から骨にまで意識を届かせる。それでも、まだ脈動は聴こえてこない。以前から耳鳴りが酷いんだよね(笑)。

「大いなる存在」とはブラフマンか。あるいは神か。それとも法(ダルマ)か。はたまたワカン・タンカ(大いなる神秘)か。