古本屋の殴り書き

書評と雑文

デジタル版「新パノプティコン」/『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『物語の哲学』野家啓一
『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・コミュニケーションの主目的は「なびかせる」こと
 ・デジタル版「新パノプティコン
 ・レトリックとは
 ・九仞の功を一簣に虧くトランプ大統領批判

『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』エックハルト・トール

デジタルトランスフォーメーション
必読書リスト その五

 最大限の人身操作力を備えたオーダーメイドの物語を作る方法は二つある。一つ目はDARPAがやろうとしている、複雑なテクノロジーを駆使して物語の消費者からデータを吸い上げる方法だ。データの情報をもとに、メッセージに迎合させることができるとわかっている方法で、ナラティブの可能性の分岐の先に消費者は送り込まれる。
 しかし、各国政府や企業は二つ目の方法をすでに完成しつつある。人々が物語に反応するのと同時進行で情報を取るかわりに、人口統計学的データ、性格の癖、政治的立場、空想の中で暴れ狂っていても誰にも打ち明けたことのない性衝動まで、あらゆることを前もって知るほうが簡単だ。そうしてある人物のアイデンティティのすべてを棒グラフと散布図の集合にまとめてしまえば、似た心理プロファイルの人々に最大限の効果があるとわかっているナラティブにその人物を接触させることができる。
 これには強力な監視技術が必要だ。18世紀に社会改革家のジェレミー・ベンサムが、パノプティコンという完璧な監視技術を考案した。これは、放射状に設計された刑務所の一種である。中心部にいる看守は囚人の行動をすべて見渡せる。しかし本当にうまくできているいたのは、照明と目隠しの仕組みによって、囚人のほうからは看守のいる中心部が見えなかった点だ。そのため、看守が見ていない場合もあるとわかっていても、囚人たちは常に見られていると想定してふるまわざるをえない。
パノプティコン」という言葉の語源は「すべてを見ている」という意味のギリシャ語で、今の私たち皆が生きているデジタル監視社会をよく言い表している。ベンサムパノプティコンと現代のデジタル版パノプティコンの最も重要な違いは、人々が見られているときにも見られていると感じるのをベンサムが【望んだ】ところだ(小説『一九八四年』に出てくる、いたるところにある双方向型のテレスクリーンは同じ目的を果たす)。しかし新しいデジタル版パノプティコンは、常に監視されているにもかかわらず監視されていないと私たちに感じさせるよう設計されている。
 しかも、ベンサムパノプティコンが視覚情報しか提供できなかったのに対して、新しいデジタル版パノプティコンは心を読む。私たちは生活しながら自分に関するデータをフケのように落としていく。覆うの科学技術者が認めてきたように、「無料」デジタル経済とは、実はユーザーの情報、思考、願望、そして貴重な注目を、商品として売り買いする経済である。
 テクノロジーの利用がわりあい控えめでソーシャルメディアにあまり足跡を残さない私について、デジタル版パノプティコンは何を知っているだろうか。何から何までだ。私のスマホは私の居場所を常に知っており、私が出かける前からどこに行くかさえ予測できる。私が使っている食事管理アプリのおかげでスマホは私の食事内容をつぶさに知っており、ドカ食いするタイミングからおそらく私の気分も正確に言い当てられるだろう。他のアプリによって私が何時に寝て何時に起き、運動習慣をどれだけ守っているかを知っている。グーグル検索その他のウェブ上の行動から、私が何を考えているかを【正確に】知っている。Siriのおかげで私の機嫌がいいときと悪いときの声まで知っている。こうした情報は断片的であちこちに散らばっているとはいえ、総合すれば、アマゾンやグーグルのような企業のほうが、私に思い浮かぶ生身の人間の誰よりも私についてずっとよく知っている。私の本、音楽、映画、ジャーナリズムの好みを彼らは知っており、かなり正確に予測できる。私の政治姿勢を彼らは知っている。私の趣味――続けている趣味も飽きてやめてしまった趣味も知っている。ひそかな願望も恥ずかしい見栄も知っている。日記にすら書く勇気のなかったことを彼らは知っているのだ。
 デジタル版パノプティコンは私が時々刻々と実際にどう行動し思考するかをもとに、私が【本当は】どんな人間かを見ることができる。私が世間に見せている仮面ではなく、私の素顔を見ている。私ですらこれほど深く綿密に自分を知ってはない。パノプティコンは、自己理解を歪める虫のいいエゴのひいき目なしに私を見ている。そして私について知ったことをすべて記憶している。私はほとんど何でも忘れてしまうのに。
 監視資本主義という冷たい科学の語彙は、物語という人肌の温もりを感じる昔ながらの芸とはかけ離れているように見える。しかし、コンピュータサイエンティストのジャロン・ラニアーが言うところのこれら「行動改変帝国」がデータを収集するその先はたいてい、私たちをもっと引き込み、感情をかき立て、最終的に説得するナラティブのターゲットにするという目的がある。結局は売りたいものを買わせるのが狙いだ――その中には害のない新製品から社会をむしばむ思想のウイルスまである。

【『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル:月谷真紀〈つきたに・まき〉訳(東洋経済新報社、2022年)】

 欲望対象を監視し、大量のデータを読み解き、新たな欲望を操作する。やがて快楽は中毒性を増し、それ無しでは何もできなくなる。

 権力機構が物語の力を信じるのは、民主政の本質をよく理解しているためだ。陶片追放は時を経るにつれて衆愚の惨状を示した。大衆は気ままで、しかも責任を取ることがない。

 欲界の最高位を他化自在天という。「この世のすべてを操りすべての欲望をかなえる神」(第六天(別名他化自在天)のルーツとは)だ。デジタル版「新パノプティコン」は他化自在天の完成形か。脳内にデバイスが埋め込まれれば意思の先取りすら可能になるに違いない(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。

 果たして我々は快楽のために自由を放棄するのだろうか? 既に放棄しつつあるように見えて仕方がないのだが。