古本屋の殴り書き

書評と雑文

死ぬまで進化し続けた佐川幸義/『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄

『雷電本紀』飯嶋和一
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『肥田式強健術2 中心力を究める!』高木一行
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
・『合気の発見 会津秘伝 武田惣角の奇跡』池月映
・『合気の創始者武田惣角 会津が生んだ近代最強の武術家とその生涯』池月映
・『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義津本陽
『深淵の色は 佐川幸義伝』津本陽

 ・佐川幸義は宮本武蔵を超えた!?
 ・死ぬまで進化し続けた佐川幸義
 ・佐川幸義の合気

・『佐川幸義 神業の合気 力を超える奇跡の技法』『月刊秘伝』編集部編
『新版 合気修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年』木村達雄
『剣豪夜話』津本陽
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

悟りとは

 合気が分かってから本当の修業が始まるのだ。長い間の持続した鍛錬と研究の結果、少しずつできるようになってくるものだ。私は70歳の頃になって一瞬でとばしてしまう新しい合気を発見した。それは武田先生の合気がもとになってはいるが、それをさらに発展させたものだ。30歳代や40歳代で警察を回って教えていた頃はとてもこの合気は分かっていなかった。多人数掛けでもこの合気があると何人でも一度に吹っ飛ばしてしまうことができる。武田先生がやっていたやり方とは全く違ってきてしまった。

【『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄〈きむら・たつお〉(講談社、1995年/文春文庫、2008年)以下同】

 従藍而青(じゅうらんにしょう/荀子)という言葉を思い出した。佐川の言葉からは、むしろ「いつの間にか師を超えてしまった」ことに対する戸惑いが伝わってくる。

 幼少期より甲源一刀流剣術、小野派一刀流剣術、関口流柔術などを習った佐川が正式に武田惣角〈たけだ・そうかく〉の弟子となったのは12歳の時である。つまり60年以上の長きにわたって武術を修めてきた人物が、70歳で長足の飛躍を遂げたわけだ。「身体操作の悟り」と言ってよかろう。すなわちそれは、我々がどれほど体を使えていないかの証拠でもある。穴があったら入りたい気分だ。

 朝、目が覚めたときにいろいろとひらめく。70歳代の時に合気はものすごく進歩をした。人生70歳代は一番研究がはかるどるときだ。

 これからの10年についての考え方を改めざるを得なくなった。っていうか本当は何も考えてなかったんだよね。各地を漂泊しながら野垂れ死にするのがいいな、とは思っていた。75歳あたりまでバイクに乗るつもりだった。

 老いて尚、新境地を開くところに人間の真骨頂があるのだろう。過去を懐かしむ者は既に「死んで」いるのだ。

 しかし、人間はつくづく一生修業だと思う。この年(90歳)になっても合気で「ああ、こういうことか」とふっと気づくことがある。そして、どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろうと思う。だから合気にしても、私の気づいていないことはいくらでもある。やはり、人間だから不完全だし、むしろ分からないことの方が合気に限っても多いのだろう。

「学びには限りがない」との思いが鞭のようにしなって迫ってくる。

 先生は92歳の現在、「退院した頃と比べて今は技がすっかり違ってきて、比べものにならないくらい進歩してきた。常に考え続けているからだ」と言われる。確かに、飛ばされ方が違ってきている。効果が更にすごくなってきているのだ。

 しかも入院する際、ドクターから「何か運動をしてみて下さい」と請われ、その場で腕立て伏せを150回行ったというエピソードがある。150回だから、もはや筋トレではなく有酸素運動の領域だと思われる。

 脳と体は使えば使うほど強くなるのだろう。そして意識も。