古本屋の殴り書き

書評と雑文

透明な力に癒される/『新版 合気修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年』木村達雄

『雷電本紀』飯嶋和一
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『肥田式強健術2 中心力を究める!』高木一行
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
・『合気の発見 会津秘伝 武田惣角の奇跡』池月映
・『合気の創始者武田惣角 会津が生んだ近代最強の武術家とその生涯』池月映
・『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義津本陽
『深淵の色は 佐川幸義伝』津本陽
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄

 ・透明な力に癒される
 ・体の内部にある何か

・『佐川幸義 神業の合気 力を超える奇跡の技法』『月刊秘伝』編集部編
『剣豪夜話』津本陽
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

悟りとは

 合気をとるかとらないかが大事だということは、かなり初期のうちから気づいてはいたのです。最初、同い年のお弟子さんにも指一本で倒された時はショックでした。私は15年夢中でやって合気道5段、むこうは10年でしたから。私より小さくて、とくに力も入れていなくて普通にしているのに、何をしてもびくともしない。この時は「いくらなんでもこの違いは個人の才能によるというより、習っているものの違いだろう」と思いました。
 しかし佐川先生に直接投げられ身体も鍛え続けて3年くらいたつと、がんばればそのお弟子さんに抵抗出来るようになりました。そして5年たった時には、がんばらなくてもぜんぜん響かなくなりました。
 ところが、佐川先生には、5年後の81歳になられても、まったく抵抗出来ずに、ころんと倒されてしまうのです。自分の身体が強くなっていくのに従って先生と弟子の差がますます鮮明になっていきました。
 これは何かある、何かなければ出来るわけがない。最初は錯覚かな、先生に無意識に遠慮しているかな、などと思いましたが、何度もやっていれば、そんなことは絶対にあり得ないということがわかるわけです。これはとても不思議な現象が起こっているのだということがはっきり認識されたのが、5年たってからのことです。
 佐川先生に投げられると、とても元気になるのです。合気で投げられると身体の芯に響いて活性化される。自分から飛んだのではだめなのです。それでは疲れてしまう。
 一人で稽古に行っていた頃は、帰りに数学の問題がよく解けました。4年間くらい解けなかった問題が、先生に投げられたあと解けたこともありました。非常に脳が活性化していく感じなのです。しかしだんだん仲間が増えていき、今日の佐川先生はすごかったなどとみんなで興奮して話しながら帰るようになると、それも出来なくなってしまいましたが……。

【『新版 合気修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年』木村達雄〈きむら・たつお〉(どう出版、2018年/https://amzn.to/3to0Z4Z旧版、2005年)】

 木村達雄は数学者(筑波大学名誉教授)である。

 中学3年生の時、同級生に連れて行かれた道場に植芝盛平〈うえしば・もりへい〉がいた。高校時代に合気道を創部した。併せて剣道も行う。その後、植芝盛平の下で二段にまでなる。大学院時代に鹿島神流を教わる。海外指導に行った際、外国人に押さえられて合気道が行き詰まる。佐川幸義が76歳の時に弟子入りした。

 文章はあまりよくないが、率直な筆致に説得力がある。佐川から「実戦の欠如」を指摘された後、電車内で喧嘩を売ってきた相手をコテンパンにした経験まで書いている(笑)。

 現代の武道がスポーツ化に傾いているのは実戦がないためだ。戦前の武術家は喧嘩上等で兵法家の趣すらある。明治以前ともなれば帯刀している時代である。一旦真剣を抜けば命のやり取りをすることになる。つまり日常の修練は「練習」などではなく「修行」であった。殺すか殺されるかという場面において段位や順位などは何の意味も成さない。

 武田惣角〈たけだ・そうかく〉や佐川幸義の超人的な強さは万人が認めるところだろう。ただし弟子となると話はまた別である。実際に総合格闘技に出場した大東流の人物は敗れている。私が前々から抱いている疑問は、「止まった状態から始める稽古」が実戦から遠ざかっているように思える。

総合格闘家 vs. 武術気功師」は広く知られているが、勝利を収めた格闘家が調子に乗って、塩田将大の元へ道場破りに行った。渋々応じた塩田は相手の腕を折ったとのこと(前田日明談)。

 他流との闘いを避けてしまえば、もはや武術の名に値しない。もちろんスポーツや健康法として行うことがあっても構わない。

 難しい技の伝承はやがて途絶える。これは思想と同様で普遍性を欠くと広まることはないのだ。それでも天才の登場は彗星の如く時代を照らしながら駆け抜ける。

強いα波を発する人は周囲の人を同調させてしまう/『護道の完成 自他を護る実戦武道 路上の戦いから神武不殺の極意へ』廣木道心