古本屋の殴り書き

書評と雑文

平時の勇気、戦時の臆病/『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ

 ・進化医学(ダーウィン医学)というアプローチ
 ・自然淘汰は人間の幸福に関心がない
 ・痛みを感じられない人のほとんどは30歳までに死ぬ
 ・進化における平均の優位性
 ・平時の勇気、戦時の臆病

『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー

 グッピーを、コクチバスと出会わせたときの反応によって、すぐ隠れる個体を「臆病」、泳いで去る個体を「普通」、やってきた相手を見つめる個体を「大胆」と、三つのグループに分ける。それぞれのグループのグッピーたちをバスと一緒に水槽に入れて放置しておく。60時間ののち、「臆病」なグッピーたちの40パーセントと「普通」なグッピーたちの15パーセントは生存していたが、「大胆」なグッピーは1匹も残っていなかった。


【『病気はなぜ、あるのか 進化医学による新しい理解』ランドルフ・M・ネシー&ジョージ・C・ウィリアムズ:長谷川眞理子〈はせがわ・まりこ〉、長谷川寿一〈はせがわ・としかず〉、青木千里〈あおき・ちさと〉訳(新曜社、2001年)】

 再び取り上げる。忘れ難いテキストは何度でも紹介する。コクチバスの通称はブラックバスだ。体長は30~50cmらしいから、グッピーのほぼ10倍である。

 進化医学的視点に立てば、「平時の勇気、戦時の臆病」に生存の優位性がある。平時に勇気を示せば女の子にモテる(=子孫を残す確率が高まる)。たぶん。戦時に臆病な振る舞いをすれば生き残る確率は高まる。勇気と臆病を、大胆と慎重に置き換えることも可能だ。主体と環境の相互作用が侮れない。

 英雄的な行為は時に死を伴うことがある。自己犠牲は人間の最も崇高な生きざまだが、その美しい精神性は死によって途絶えてしまう。

英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー

 アウシュヴィッツ強制収容所を生き抜いたヴィクトール・E・フランクルが「最もよき人々は帰ってこなかった」と書いている(『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』)。

 大東亜戦争末期において若き学徒は特攻隊に志願して花と散った。二十歳前後のエリート達は笑顔で操縦席から手を振った。戦後の日本国民は彼らを「無駄死に」「犬死に」と嘲(あざけ)った。だが、個人の生存率は低かったが、国家の生存率を彼らが高めたのは確かだろう。

「引きこもり」が現れたのはバブル崩壊(1991-93年)後のことである。1994年8月11日号の『女性セブン』に掲載された「『ひきこもり症候群』の叫び」が嚆矢(こうし)とされる(「ひきこもり」という言葉、いつから使われるようになった? | キャリコネニュース)。

 就職氷河期が1992年である。パワハラ紛いの圧迫面接が登場したのもこの頃だろう。鬱病を始めとする精神病や発達障害(軽度自閉症)が珍しくなくなった時期でもあった。こうした背景を踏まえると、ひきこもりには一定の優位性があったと考えられる。

 古来からあったと考えられる鬱病(=メランコリー)だが感染症流行の際に優位性があることは以前から指摘されていた。

 時を知り、環境を踏まえることが人生を開く鍵となる。

 尚、本書は必読書にしてもよかったのだが、高価なため教科書本としていることを付け加えておく。

臆病な原始人の子孫が生き延びた/『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也