古本屋の殴り書き

書評と雑文

如何とも名状し難い強い懐しさの情/『紫の火花』岡潔

『春宵十話』岡潔
『風蘭』岡潔

 ・純粋直観と慈悲
 ・如何とも名状し難い強い懐しさの情

『春風夏雨』岡潔
『人間の建設』小林秀雄、岡潔
『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利

 満州事変の始る少し前、私はフランスへ行こうとして、シンガポールに来て一人波打際に立った。
 海岸には大きな椰子の木が一、二本、斜めに海に突き出ていて、遙か向こうには二、三軒、床の高い土人の家が見える。私は寄せては返す波の音に聞き入るともなく聞き入っていた。そうすると突然、如何とも名状し難い強い懐しさの情に襲われて、時を忘れてその中に浸った。今でもこの時を思い出して、懐しさの情とはこれを言うのかと思っている。土井晩翠はここをこう歌っている、「人生旧を傷みては千古替らぬ情の歌」。
 アンリー・ポアンカレーは「思想は長夜の一閃光にとどまる。されどこの閃光こそ一切なのである」と言っている。私の人生に表現せられた私の情緒を見ていると、やはり「長夜の一閃光」のように思えてくる。その閃光の中心がこのシンガポールの印象である。
 この情緒の姿が真の私だとすると、私の過去も未来も、おのずから明らかであるように思える。(まえがき)


【『紫の火花』岡潔〈おか・きよし〉(朝日新聞社、1964年朝日文庫、2020年)】

 明日は今月初めての休みである。4月から殆ど休みなしで働いている。ま、睡眠時間を削るほどではないため深刻な情況には陥っていない。ただ、文章を書く気が失せる。しかも完全に。本は読んでるんだけどね。

 今読んでいる三木成夫〈みき・しげお〉著『胎児の世界 人類の生命記憶』に同じような文章が出てきて驚いた。しかも三木は「椰子の実」について書いているのだ。南方から日本にまで渡ってきた先祖のDNAが疼(うず)くのだろうか? いずれにせよ今世の領域に収まらない情報-情動-感興があるのは理解できる。

 三木は「生命記憶」なる言葉で表現しているが、確かに「記憶」としか言いようがない何かがあるのは確かだろう。それを「大いなるデジャヴュ(既視感)」と私は名づけたい。

 鳥は本能に従って巣作りを行う。この動画を見て私はいたく感じるものがあった。本能というパッケージ化された情報はどのように保存され、伝わるのであろうか? 体の情報がコード化されてコピーできるのは、まだ理解可能な範囲だ。しかし巣作りという「文化」が生まれながらにして遺伝されているのは理解不能だ。だって、私は巣を作れないよ。

 もう一段思索を進めよう。アリ塚はどうだ?

 昆虫にも脳はある。なぜあんな微小な脳でこんな建造物ができるのだろう? ピラミッドよりもはるかに精巧な仕組みで、しかも数が多い。

 私はここにビットを超えた情報を見出す。それこそが脳の記憶を超越した「生命記憶」なのだろう。

 振り返ると私が数年前まで取り憑かれたように自転車を漕(こ)いだのは、「魂の故郷」を探す衝動に駆られた行動だったのだろう。漂泊への憧れが止まないのも同じ理由だと思う。