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・『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
・『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
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・明治維新における「からだの断絶」
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しかし明治政府には、意図的に国民の「からだ」、その中でも「歩き」を変える必要があったのです。それは、富国強兵策を支える洋式軍隊を組織するためにどうしても必要なものでした。
政府は、1873(明治6)年に徴兵令を公布しました。国民に対して戦うことを義務化したのです。しかし、この国民皆兵化にあたり大きな障害がありました。それは、当時、国民の大部分をしめた農民の「からだ」には「洋式軍隊」を組織するには大きな欠陥があったのです。その欠陥には、「集団移動ができない」「行進ができない」「かけ足ができない」「突撃ができない」「方向転換ができない」などがあげられます。
とくに集団移動の能力が劣っている点は、軍隊の近代化にとって致命的な欠陥でした。欧米列強に対抗できる洋式軍隊を必要とした明治政府の落胆は想像に難くありません。
そこで、政府は農民のからだを近代化するための緻密な教育政策を実施していくことになります。1872(明治5)年に学制が発布されます。全国を大学区・中学区さらに小学区に分け、全国に53760の小学校があったそうです。さらに、1879(明治12)年には教育令が発布され、さらに日本の義務教育が普及していきました。
身体動作を専門とする立場からみると、当時の義務教育の普及の目的の1つは子どもたちの「からだ」を、洋式軍隊の構成員となりうる「からだ」へと変革させるためのものであったといえるのです。
それは、当時の体育の内容にもあらわれています。初代文部大臣の森有礼〈もり・ありのり〉は兵式体操を義務教育過程に採用しています。そこで実施された体操は、本来の兵式体操ではなく、隊列を整えての歩行訓練が中心でした。「隊列をつくって歩く」ことこそ、近代軍隊化における最初の重要な課題であったのです。
さらに、同様の施策が音楽教育にも見られます。
洋式軍隊を組織することと音楽教育など関係がないと思われるかもしれませんが、歩行訓練の効果を上げるためには、どうしても音楽教育が必要であったのです。
文部省は兵式体操の採用に先立ち、1879(明治12)年に米国への視察経験のある伊沢修二を文部省音楽取調掛に任命しています。伊沢はアメリカ人メーソンを招聘して「文部省唱歌」をつくり、その取調掛が1885(明治18)年に音楽取調所に昇格し、さらに1887(明治20)年には東京音楽学校となって伊沢が初代校長に就任しています。
これらの施策についても、政府は、行進ができない原因の1つが、農民が伝統的に持っている音楽的リズムのなかに、マーチ(行進)の要素がまったくないことに気づいていたためと思われます。
本来、日本民族音楽の基本は呼吸作用のリズムであるといわれています。一方、西洋音楽は、心臓の鼓動を基本としています。つまり、西洋音楽が心臓の鼓動のように平均的速度で進行するのに対し、日本民族音楽のそれは呼吸を基礎としているため極めて不安定なリズムを保有していました。
当時の教育から日本民族音楽が排除されたねらいは、いうまでもなく行進に不適合なリズムを保持していたためであると考えられます。つまり、行進に必要な4拍子のリズムが日本音楽に欠如していることを見抜いていた政府は、マーチのリズム感を身につけさせるために、西洋風音楽のリズムを唱歌を通して教えこむことの必要を痛感していたと考えられるのです。
このように、維新以降の政策をみると、当時日本人の8割以上を占めた農民の「からだ」を変革させ国民皆兵化を推進するにあたって、学校教育をよりどころに、明治政府は計画的かつ用意周到に準備をすすめてきたといえるのです。
さて、明治政府によって意図的に日本人の「からだ」が変えられてきた様子を見てきました。これを明治維新における「からだの断絶」ということにしましょう。
じつは、この「からだの断絶」が「腰痛」・「膝痛」・「外反母趾の痛み」に悩みの(ママ)原因の1つと考えられるのです。【『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史〈きでら・えいし〉(実業之日本社、2014年)以下同】
文末の「に悩みの」は「の悩みの」の誤植か。あるいは「悩みの」→「悩む」か。
木寺は精力的に本を書いているが一番おすすめできる。1540円の薬と思えば安いものだ。しかも、このような鋭い考察が示されており、読み物としても一級品である。
近代化に伴い日本人の多くは農作業や漁をすることもなくなった。そうして足から「踏ん張る力」が失われていったのだろう。膂力(りょりょく)という言葉も死語になりつつある。
木寺は独学の人物である。
10年ほど前までは、よく休みの日には、人通りの多い場所へ出向いてベンチに座り、一日中通り過ぎる人の「歩き方」を見ていました。
老若男女、様々な歩き方をしています。ひたすら、それらの様々な人の歩き方を観察したのです。
観察をし続けていると、やがて「見える」ようになる。歩行であれば構造や仕組みまでがわかる。姿勢が歪んでいれば必ず何らかの痛みが生じる。重力に逆らえば必ず負けるのだから。
彼は元々剣道教士で現代剣道と古流の違いを研究していた。本書でも画像が紹介されているが、構えからして全然違うのだ。そこから常歩(なみあし)に至り、小田伸午、小山田良治らとの交流が始まった。本当に奇蹟のような出会いで、我々読者は労なくしてその恩恵に与(あずか)ることができる。
近代戦が刀剣で戦うものであれば日本人の「からだの断絶」はなかったことだろう。しかしながら兵器の進化は人間を機械的に扱う。武器が主で兵士は従という思考になる。グローバル化された世界の超限戦においては、大衆そのものが単なるコントロール対象と化す。つまり人間はバイアス装置として設定されるのだ。
私が常歩(なみあし)を実践するようになって間もなく2年が経つが、簡単なことほど難しい。1年ほどで動きがつかめ、やがて歩行に律動が生まれるようになった。10km程度の散歩であれば楽勝である。折を見て長距離にも挑むつもりだ。
数年前から右の膝痛に悩まされているのだが、常歩(なみあし)だと痛みが増すことはない。痛みが酷い時は片踏み(いわゆるビッコ歩き※差別用語)で歩いて様子を見るようにしている。
坂道を上り下りしていると常歩(なみあし)の感覚が身につく。っていうか、坂道は自然に常歩(なみあし)になっているのよ。拇指球で蹴って歩ける人はいないだろう。
足裏全体で着地する。接地の際、膝は曲げる。1本線ではなく2本線上を歩く。拇指球で蹴らない。踵を踏んで力を抜いた拇指球を地面から離す。これだけである。たったこれだけのことをマスターするのに1年かかるのだ。体の癖は一筋縄ではゆかない。