古本屋の殴り書き

書評と雑文

1853年、イングランドでは天然痘ワクチン接種拒否が犯罪となった/『ワクチン神話捏造の歴史 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊』ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ

『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

 ・当初からデータを隠蔽し続けてきたワクチン医療
 ・平凡な医師たちはワクチン被害を知りながら沈黙し続けた
 ・19世紀の欧米は不潔極まりなかった
 ・ワクチン無効が明らかになると「一生続く免疫」から「重症化を防止」に変更
 ・1853年、イングランドでは天然痘ワクチン接種拒否が犯罪となった
 ・ワクチン未接種の不信心者に罰則
 ・ワクチン接種を強制するほど天然痘が流行
 ・感染症対策の基本は衛生、栄養、日光浴

ドキュメンタリー映画『突然死』(Died Suddenly)

必読書リスト その四

 30年前にはこのようなことは夢にも思わなかった。行儀の良い言葉遣いではこの事実を到底表現できない。ある家族の第一子がワクチンで殺されているにもかかわらず第二子にワクチン接種を命令するとは、そしてその父親をワクチン拒否を理由に刑務所に送るとは。
    F・W・ニューマン名誉教授〔1805-1897〕、1874年10月26日

 本質的な自由を少しの間の一時的な安全のために投げ出すことは自由でも安全でもない。
    ベンジャミン・フランクリン アメリカ大統領〔1706-1790〕

 抑圧する側の人間が自ら他人に自由を与えることはない。自由は抑圧されている者が要求しなければ得られないのだ。

    マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師〔1929-1968〕


 1885年3月23日、イングランドの製造業の町レスター市の人々は、長く厳しい冬の後でようやく訪れた美しい春の日を楽しんでいた。近郊や周囲の町から何千人もの人々が、英国政府が不当に強制している法律に抗議するために集まってきていた。
 天然痘ワクチンは1800年以降、長きにわたって使用されていたが、1840年と1853年の条例ができるまでは政府は人々に強制していなかった。1853年の法律はすべての赤ん坊が生後3カ月以内にワクチン接種をさせるための政府の仕組みを形成した。
 英国政府は数年にわたり一連の法律を成立させ、ワクチン接種拒否を犯罪とし、罰金もしくは投獄によって罰せられるようにした。レスター市の大規模抗議デモが起こったのはこのような状況下においてである。1884年3月、レスター・マーキュリー紙〔地方新聞〕に以下の記事が掲載された。

 2歳の息子のワクチン接種要請を無視したことが理由でエドワード・アイアンズは出頭を命じられた。彼は良心的拒否によってワクチン法に従わなかった。また、彼のかかりつけ医がワクチンを接種しても子どもは健康にならずメリットがないと忠告したので、それに従って行動していた。彼の娘の一人はワクチンを接種されてからワクチンの副作用に相当苦しんだので、彼は2歳の息子に同じリスクを負わせたくなかったのである。彼は医療従事者の紳士たちがワクチン接種の弊害について述べた意見を提示した。その上で、良心的拒否をしている彼に対し法定が法律を強制することは賢明なことではないと思うと述べた。議長は天然痘のワクチン接種に関して効果を疑うような意見は存在しないと述べた。ワクチン接種による天然痘に罹患した際にずっと軽症で住むようになることは疑う余地もないほど証明されている。裁判官たちはこの意見に関して全員一致である。彼らは公的な利益のために、2週間以内に法律を彼に適用するべきだと決定した。もしワクチン接種義務が果たされない時は被告に20シリングの罰金が課せられる。また、このほかのすべての同様の事例に対し同じ判決が下されるであろう。

【『ワクチン神話捏造の歴史 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊』ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ:神瞳〈じん・ひとみ〉訳、坪内俊憲〈つぼうち・としのり〉監修(ヒカルランド、2023年)】

 1853年は嘉永6年である。黒船襲来の年だ。因みに明治改元が1868年10月のこと。

 1848年にはヨーロッパ各地で「諸国民の春」と謳(うた)われた革命が起こった。春だと? 胡散臭いな。「春」と名のつく擾乱(じょうらん)にはユダヤ人が絡んでいるような気がしてならない。

 いずれにせよ、自由と平等への欲求が高まった直後に天然痘ワクチンが強制されたと見てよい。大衆の動きに対する反動もあったのだろう。しかも感染症対策という大義名分が立つ。

 このテキストは以降も紹介するが、ディストピア小説さながらの世界が歴史上に出現した事実が重い。