古本屋の殴り書き

書評と雑文

「坐」と「座」の違い/『ただ坐る 生きる自信が湧く一日15分坐禅』ネルケ無方

・『人は死ぬから生きられる 脳科学者と禅僧の問答茂木健一郎、南直哉
・『賭ける仏教 出家の本懐を問う6つの対話』南直哉
『日々是修行 現代人のための仏教100話』佐々木閑

 ・「坐」と「座」の違い

『静坐のすすめ』佐保田鶴治、佐藤幸治編著

 ある本には次のような説明がありました。「座」という字のマダレは屋根を意味するので、屋内ですわる場合は「座る」、ところが、釈尊は出家して菩提樹の下で坐禅を組んでいたので、マダレのついていない「坐」という字でなければならない。なるほど、とも思いましたが、まだ納得するまでにはいきません。
釈尊の場合に限って言えば、【坐】禅でいいかもしれない。しかし、私たちの場合、お堂の中、屋根の下で【座】禅をしているのがほとんどではないか?」
 私の調べ方が悪かったのです。実は、「坐」と「座」の字義の違いはもっと簡単で、しかも基本的なものでした。少し昔の本を読んでいたら、「【座】席に【坐】る」という表現を見つけました。「座席」なのに、どうして「坐る」なのか、最初は不思議でしたが、答えは単純です。かつて、「座」はすわる場所、「坐」はすわる行為を表すのに使われていました。要するに座と坐の意味の違いは、英語で言えば「Seat(シート)」と「Sitting(シッティング)」の違いなのです。

【『ただ坐る 生きる自信が湧く一日15分坐禅ネルケ無方〈むほう〉(光文社新書、2012年)】

 ネルケ無方はドイツ人で、高校(キリスト教主義学校)で坐禅に触れ、心に期するところがあったという。1990年、半年間京都大学に留学した際に曹洞宗坐禅道場で修行を行う。93年に兵庫県の安泰寺で出家した。

 坐禅を軸とした生活をしており、「年間1800時間、壁に向かって坐っています」と書いている。1日約5時間である。中々できることではない。それでいて、坐禅をしても「何にもならない」と言う。そこには生産性信仰に傾いた社会を真っ向から否定する朗らかな精神が窺える。仏教に産学協同はない。合理性はあってもプラグマティズムではない。そもそも僧侶の存在自体が社会に役立つものではない(笑)。

「役に立つ」ことのために「好きなこと」を犠牲にする風潮が強い。時代の閉塞感はそんなところから生まれているのだろう。ネルケ無方は好きな道を選んだ。そこが偉い。

 坐禅や静坐は義務教育にも取り入れるべきだと思う。ドイツのキリスト教主義学校坐禅に触れた件(くだり)を読んで、頭から水を浴びたような思いがした。