古本屋の殴り書き

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1905年(明治38年)、玉木懿夫が『英国衰亡論』を発表/『英国病の教訓』香山健一

 ・1905年(明治38年)、玉木懿夫が『英国衰亡論』を発表
 ・英国病の具体的な症状

『サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道 英国教育調査報告』中西輝政監修:英国教育調査団編
『小室直樹vs倉前盛通 世界戦略を語る』世界戦略研究所編
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通

 七十数年前の昔のことになりますが、明治38年(西暦1905年)に、すでに今日のイギリスの衰退、没落を予言していた一人の日本人がおりました。この人の名は玉木懿夫《たまき・よしお》氏、号を椿園と称していた人物です。(中略)玉木氏は、欧米留学から帰国直後の明治38年、つまり氏が33歳の若さのときに、『英国衰亡論』という小冊子を発表されました。恐らくこの書物は、日本人の手になる最も古い英国病の診断に関する書物だと思われます。

【『英国病の教訓』香山健一〈こうやま・けんいち〉(PHP研究所、1978年)以下同】

 大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった(『砂糖の世界史』川北稔)。岩本沙弓大英帝国凋落の原因を「金の流出と国内産業の空洞化」の2点としている(『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』)。

 1905年(明治38年)は日露戦争に勝利した年だ(年表)。

 この『英国衰亡論』という本は当時の日本の高等小学校の教科書のスタイルをとっていて、その副題がまことに風変わりなことに「明治百三十八年日本高等小学校教科書」となっています。明治138年というと西暦2005年になりますから、いまから28年後の「21世紀」初頭ということになりましょう。
 なぜこのような風変わりな副題の書物を椿園居士が当時のイギリス社会をつぶさに観察してみると、どうも相当深刻な社会の病気がイギリスの社会を冒し始めているように思われ、氏はこれを診断して、この小冊子をまとめられたのですが、その衰亡への道を、将来の日本が歩むようなことがあってはならない、そういう願いをこめて、100年後の日本人への遺書のような形でこの本が書かれたわけです。

 明治39年の書誌情報には、「某憂國者著、椿園居士譯(やく)」(県立神奈川近代文学館|蔵書検索)となっているが、これもネタなのだろうか? 復刻版も出ているようだ。

 さらに、この序文に続く緒言は、次のような書き出しで始まっています。
「此小冊子は我小学校の上級生に用うる為めに著せり。其長く教科書として用いられんことを望む、凡そ邦国の世界歴史に冠たるを欲するものは、復た他の邦国が其繁栄を槿花一朝の夢と化したるを知らざるべからず、若し帝国にして同一運命に陥るを避けんとならば、国民は小児の時より先人の過ちを識り、避け得べきは之を避けざるべからず」と。

 1889年(明治22年)2月11日に「大日本帝国憲法」が発布されたが、実質的な帝国となったのは日清戦争(1894-95年)以後のことである。「若し帝国にして同一運命に陥るを避けんとならば」の一言に揚々たる意気を感じる。

 これに続く要約だけでも必読書とする価値がある。文庫化されていないのは各出版社の不明と断ずるものである。