・『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
・『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・「キリスト教」はイエスの死後につくられた
・ユダヤ教イエス派を組織化したペトロ
・「人による人の支配」の構造
・キリスト教を知るための書籍
それでは続きを。
・驚くべきことにイエスの処刑から間もなくしてペトロたちがエルサレムで堂々と活動を開始する(数十日後?)。
・ローマ側の政策的介入があったと推定される。
・ユダヤ当局はイエスだけを迅速に処刑して、イエス・グループの幹部や賛同者を不問に付した。
・エルサレム初期共同体において、ペトロの方針はイエスを無視するものとなっている。
・イエス→日常生活そのままで神の救いを待て。
・ペトロ→特別な活動をせよ。
ペトロが指導者になり、人々がそれに従う。ある程度以上の大人数の者が、この指導に沿って特別な活動を行うと、特別な組織や制度が生じる。
指導者がいて、それに従属する者たちがいる。彼らが独自の団体を作る。このことが重要である。「人(指導者)による人(従属者)の支配」というべき事態が生じた。
指導者は、指導する者であり、「教え」を与える者である。「神を動かすために何をすべきか」についての具体的指導が、「指導」「教え」の内容である。
この「教え」には、正当性がないはずである。「人が何をしても、神を都合よく動かすことはできない」はずなのに、「神を動かすために何をすべきか」が「教え」によって指摘されているからである。「教え」に価値があることは、指導者側によって主張されているだけである。(「キリスト教」はイエスの死後につくられた:加藤隆/61ページ)
【『世界史の新常識』文藝春秋編(文春新書、2019年)】
ペトロがペテロであることに気づかなかった。ユダヤ教イエス派を組織化したペトロの後をパウロが引き継ぎ、キリスト教が完成する。何となく、ブッダ→小乗→大乗を思わせる変遷である。三段跳びで着地したら別世界になっていたという……。
古代ともいうべき時代にあってイエスの教えは知っていても実際のイエスに会ったこともなかった人も多かったことだろう。当然ながら教義もテキスト化されていたわけではない。つまり、イエスを利用して教義を改変することなどわけもなかったはずだ。それどころか「本当のイエスはこうだった」と創作することも容易にできたことだろう。ペトロはイエスと異なるシナリオを描いたわけだ。
この辺りの経緯について私は特段詳しいわけではない。でもまあ、ユダヤ教回帰の動きがあったのではないかと想像する。
ペトロの変節に、原始キリスト教(エホバの証人やモルモン教)が誕生する隙(すき)があるのだろう。
結局のところ、宗教性よりもコミュニティ性を大衆は重んじるのだろう。教祖は個人であるが、教団は群れに過ぎない。国家と地域という属性を変えることはできないが、人間関係の横軸としての宗教を人々は求めてきたということか。であるならば、宗教以外の横関係を結べるコミュニティがあれば、宗教は不要となる。