・『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
・『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
・「キリスト教」はイエスの死後につくられた
・ユダヤ教イエス派を組織化したペトロ
・「人による人の支配」の構造
・キリスト教を知るための書籍
「教え」の内容は、人を集めるために有効であれば、何でもよいのである。「当該の活動が神による救いを誘うために有効だ」という正当性のない主張を、正当だと認めるには「信じる」しかない。「〈教え〉に賛同し、従属する者たち」は、「信じる者」「信者」と呼ばれ、「信仰」がきわめて重要なものとなる。
「これこれの特別な活動が、神による救いを誘うために有効だ」という主張は、社会の現実において、かなり有効に機能した。
社会的に有効であればよいのだから、さまざまな指導者ないし指導者グループが登場し、さまざまな「教え」が試みられる。新約聖書におさめられている諸文書は、こうした多様な試みが早い時期から行われていたことを示している。たとえばイエスのイメージを工夫することは、重要で有効な手段だった。四つの福音書があることは、少なくとも四種類の異なったイエスのイメージが工夫されたことを物語っている。(「キリスト教」はイエスの死後につくられた:加藤隆/63ページ)
【『世界史の新常識』文藝春秋編(文春新書、2019年)以下同 】
啓典宗教のドグマティズムを理解していれば、加藤隆の指摘はストンと腑に落ちて、そのまま突き刺さる。
・教条主義こそロジックの本質/『イエス』ルドルフ・カール・ブルトマン
組織化を社会化と呼んでもいいだろう。そこに世俗化の問題が浮かび上がってくる。あらゆる宗教が世俗化し、世俗化した宗教が社会に受け容れられるのである。
それにしてもペトロの天才詐欺師ぶりは見事である。以前、人間らしさについて思索していたことがある。良心や善性は動物にも存在する(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。知性がヒトの特長であれば、人間らしさは「騙(だま)す」ことに極まる。なぜなら騙すという行為は、相手の考えや価値観を理解した上で、相手が思いも寄らない嘘を信じさせるという複雑な働きかけであるからだ。
堀堅士〈ほり・けんじ〉は四つの福音書に対してもっと痛烈な批判をしている(『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である』)。
広い意味での「教会」にとって真に重要なのは、指導者がいてそれに従属する者たちがいるという構造、「人による人の支配」の構造である。
階級社会が長い影を落としている。その意味からも、日本の場合、一君万民思想があったため奴隷不在の稀有な社会を形成した歴史的事実を見逃してはならないだろう。
キリスト教が支配-被支配を脱却することはかなわなかった。男性優位も変わることがなかった(一部宗派の牧師では認められている。因みに神父〈聖職者〉はカトリックで独身、牧師〈教職者〉はプロテスタントで妻帯可)。
西洋の場合、社会全体が功利主義やプラグマティズムの方向に進む力学が働いているようにも思われる。
以下の指摘も勉強になった。
ペトロの目論見は失敗に帰するが、パウロがキリスト教設立に成功する。キリスト教をパウロ教と考える人々も多い。パウロ自身はイエスと面識がなく、元々はイエスの信者を取り締まり、迫害を加えていた人物である。それが一転、光に打たれて回心するのだ。