・『穴と海』丸山健二
・『さらば、山のカモメよ』丸山健二
・『メッセージ 告白的青春論』丸山健二
・『ミッドナイト・サン 新・北欧紀行』丸山健二
・『小説家の覚悟』丸山健二
・『野に降る星』丸山健二
・20世紀の神話
・風は変化の象徴
・オオルリと世一
・靴
・落ち葉
・扉
・義手
・茶柱
・野良犬
・孤なる魂をもつ者
・紋章
・空気
・橋
・影
・戒律
・『見よ 月が後を追う』 丸山健二
・『虹よ、冒涜の虹よ』丸山健二
・『逃げ歌』丸山健二
・『荒野の庭』言葉、写真、作庭 丸山健二
私は戒律だ。
うつせみ山の懐に抱かれた禅寺で修行を積む僧たちの自立の道を絶っている、戒律だ。浮世を何かろくでもないものに寄(よそ)えて否定し、帰依者として一条の活路を見出そうと日々あがいているかれらは、最も肝心なことを忘れてしまっている。己れを己れの規則でぎりぎり縛りあげることが如何に有害で、危険であるかについて、一日も早く気づくべきだ。
この私に寄りかかっているかれらは、私に頼り過ぎ、私が与える苦痛に満足し切っている。この上なく威圧的で、誰よりも横柄に構え、仮借なく責め立てる私が、実はかれらの精神を遊蕩に耽る以上に堕落させ、ずたずたに引き裂いているのだ。あまりに従順なかれらは何の疑いも持たないで肉体を私に委ね、愚かな魂を天外に飛ばし、悟りの周辺をぐるぐる回りながら奈落の底へと落ちて行く。かれらはこの世に在ることの深意を悟ろうとせず、迷いのための迷いと戯れ、苦行のための苦行を満喫している。その挙句、ひとたび私に見限られると慚死を遂げたりするのだ。
私はかれらの鬱勃たる情熱を奪い、不屈の負けじ魂を挫(くじ)き、己れの非力を存分に錯覚させてやる。かれらは私のひと睨みでたじたじとなり、ときには声を出して潸然(さんぜん)と泣いたりもする。その情けない泣き声に応えて、少年世一のオオルリが、こう鳴く。ひと思いに死んでしまえば楽になれるのに、という無責任なさえずりをうつせみ山に叩きつけてくる。
【『千日の瑠璃』丸山健二〈まるやま・けんじ〉(文藝春秋、1992年/文春文庫、1996年/究極版、2014年)】
長らく必読書に入れてなかったのには理由がある。必読書というからには個人的な感情を排して、私の好き嫌いで選ぶことを避けたかったのだ。丸山健二の魅力はやはりその簡潔な文体にある。1ページごとに主語が変わる実験的な手法を嫌ったファンも多かった。ところが私が読んだ丸山の小説は前作の『野に降る星』が初めてだった。
分厚いハードカバーをトイレのドアの外側に置いてある。幾度となく読み返すうちにわかった。「これは辞書として読むのが正しい」のだと。
最初に読んだ時は、まるで一念三千の法理が展開されているようにすら思った。千の視点にはそれほどの衝撃があった。
丸山はもともとオフロードバイクを乗り回す腕っ節の強い筋肉野郎だった。田舎を唾棄し、宗教を嘲笑い、伝統を貶(けな)すところがあった。本書でも戦後教育の影響からと思われるが、天皇制を揶揄するような記述がある。
それでも肉体派ならではの直観が戒律の危険性を嗅ぎ取り、決め事に甘んじる精神性をものの見事に喝破している。
私自身、戒律を軽んじるという一点で仏教者たり得ない。そもそも戒律を守ることが修行であれば、戒律がそのままサンカーラに堕すことが想定できる(『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥)。
クリシュナムルティは理想も努力も否定した(『自由とは何か』)。その意味をよくよく考える必要があるだろう。
丸山にしては珍しく、末尾の文章が乱れている。