古本屋の殴り書き

書評と雑文

英語で世界に発信した明治人/『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄

『福翁自伝』福澤諭吉
『氷川清話』勝海舟:江藤淳、松浦玲編

 ・英語で世界に発信した明治人

・『武士の娘杉本鉞子
『武家の女性』山川菊栄

日本の近代史を学ぶ

 杉本鉞子(えつこ)『武士の娘』(A DAUGHTER of the SAMURAI)のように、日本人が最初から英語で書いて外国人に感銘を与えた本は、明治以来何冊かある。
 内村鑑三の『日本および日本人』(Japan and the Japanese 1894年〔明治27年〕、1908年改訂され『代表的日本人』(Representative Men of Japan)として再刊)、新渡戸稲造の『武士道』(Busido, The Soul of Japan 1899年〔明治32年〕)、岡倉天心の『茶の本』(The Book of Tea 1906年明治39年〕)等である。
 日露戦争の際、新渡戸稲造の『武士道』を読んだセオドア・ルーズヴェルト大統領は、終始日本に同情的で、戦争終結を望んでいた日本のためにロシアに働きかけ、講和への道を開いてくれた。第一次世界大戦後、フランス首相ジョルジュ・クレマンソーは、内村鑑三の『代表的日本人』を読んで感銘をうけ、健康さえ許せば日本に行きこの思想家と話したい、と語っていたという。内村の本を読んで日本を再認識したのである。
 そしてないよりも、これらの本は、近代社会へと舵を切ったばかりの日本人の文化的素養や考え方を世界の人たちに知らしめて、日本は「信頼に値する国」であるという国際世論の形成に大きく貢献したのである。

【『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄(講談社+α文庫、2015年/講談社、2013年『鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯』改題)以下同】

 広く知られた話であるが覚え書きとして残しておく。しかしながらヨーロッパは階級社会であり、アメリカもその影響を色濃く反映しており、欧米人一般の理解が進んだとは言い難い。事実、ハワイの真珠湾を奇襲した飛行機をドイツ人が操縦していたとアメリカ人は思い込んでいた。よもや、極東のイエローモンキーが操縦するとは夢にも思わなかったのである。

 白人の人種差別感情は根が深く抜き難い。そこから生ずる芽や茎、はたまた葉や実に至っては何をか言わんやである。

 体の大きい者が小さい者を侮るというのは子供の世界観である。それを覆すのが文化であり、大人の価値観であろう。

「ここ数年のことだが、ニューヨーク市コロンビア大学界隈で、和服を着た上品で小柄な日本夫人がキャンパスを横切る姿に出会ったものである。車の喧騒(けんそう)のなか、急ぎ足で歩く学生に混じって、彼女はまるで優しく舞う蝶か、そよ風にゆれる可憐(かれん)な花のように見えた。彼女のそばを通ると、その上品なしぐさと目のなかに浮かぶなんともいえない親愛なまなざしに心がうたれ、いったいこの女性は誰なのだろうかと思わずにはいられなかった。その人こそ『武士の娘』の作者エツ・スギモトであった」(児童文学者ヘレン・フェリス)

 振る舞いとは身体操作であり、意志と習慣によって形成される。弱い意志は習慣となってだらしのない態度を露呈し、確かな意志は節度と気品を薫らせる。少なからず気風を感じさせる人々は存在するし、威風を思わせる人も稀(まれ)にいる。

 昨今は話し方が注目されがちだが、言葉よりも態度が雄弁なこともある。目は口ほどにものを言い、そびやかした肩や落ち着きのない指の動きは口よりも多くを語る。その最たるものが笑顔だろう。

 杉本鉞子の振る舞いや仕草を想像する。他人の目を引くことが目的のモデル歩きは時折見掛ける。だが、「優しく舞う蝶」や「そよ風にゆれる可憐(かれん)な花」のような動きはお目にかかったことがない。

 現代の価値観からすれば、明治の女性は「極端に控え目」で「抑圧」と言われかねないほどの清楚さがあったことだろう。そうした行為の意味を一々説明することもなく、誰が知ろうが知るまいが、あるべき当然の姿として日常を生きたことだろう。

 その覚悟と抑制がアメリカ人の目を引いたのだ。どんな世界にも見る目をもつ人はいるものである。私はむしろそうした事実に驚いた。