古本屋の殴り書き

書評と雑文

学ぶべき独創/『道法スタイル 野菜の垂直仕立て栽培』道法正徳

永田農法

 ・学ぶべき独創

『食は土にあり 永田農法の原点』永田照喜治
農業

 垂直仕立て栽培とは、垂直に仕立てた支柱にすべての枝や茎を縛り上げて育てる栽培法です。(中略)
 また、わき芽かきも摘芯も、基本的に行いません。さらに、畑には堆肥や肥料を入れることもしません。(中略)
 私がおすすめする栽培法は「常識の反対」です。

【『道法スタイル 野菜の垂直仕立て栽培』道法正徳〈どうほう・まさのり〉監修(ワンパブリッシング、2020年)以下同】

 野菜づくりを行ったことは一度もない。ただ、老後の晴耕雨読を夢見ている。もちろん白昼夢に終わる可能性もあるわけだが。

 育てることに対する憧れは、私に子がないことも理由の一つかもしれない。丸山健二も老境に入り、異様なまでの執念を庭造りに注いだ(『安曇野の白い庭』)。

 また、土に触れる快感を知ったことも大きい(サンセベリアの植え替え)。泥んこ遊びの復活だ。

 私の経験上、石ころがゴロゴロしている畑の方が、トマトでもナスでもダイコンでも、どの野菜も育ちがよくなります。(中略)
 植物の根は土中で石に当たるとエチレンが増えて網根を増やします。おかげでサイトカイニン、ジベレリンの生成量が増え、生育がよくなると考えられます。(中略)
 土づくりは堆肥をまいて行うものではありません。石をまくのが本当の土づくりだと私は思っています。

 空気を取り込むのかと思いきや、そうではないようだ。多分それが自然本来の姿なのだろう。

 ま、素人以前の私が言うのもなんだが、どの世界でも前例踏襲が尊ばれ、教条(ドグマ)にひれ伏すのが常態化しているのだろう。その意味からも道法スタイルには学ぶべき独創が確かにある。

 要は耳の問題だ。植物が発する声にどこまで耳を傾けることができるのかが問われているのだ。永田農法と共に実践する価値がある。

 ただし、こういう意見もある。

 確かに。その2から10までは以下同文だ(笑)。その労力を思えば徒労感が大きいことだろう。まして天候不順ともなれば神を怨みたくもなる。それでも尚、「作る価値」はある。効率や経済性よりも重い何かがあるのは間違いない。