古本屋の殴り書き

書評と雑文

腸にも骨にも血液型がある/『血液型の科学 かかる病気、かからない病気』藤田紘一郎

『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎

 ・腸にも骨にも血液型がある
 ・免疫力は血液型によって差がある

『果糖中毒 19億人が太り過ぎの世界はどのように生まれたのか?』ロバート・H・ラスティグ

 ある新聞の社説では「ABOの血液型は輸血にしか役立たない」と述べて、人間を見るための判断材料にはまったくならない、と結んでいました。ひょっとしたら、その主張の根拠は、血液型物質は血液(赤血球)のみにある物質だと考えていることにあるのではないかと疑ったみたくなります。
 もしそうだとしたら、とんでもない話です。血液型物質は最初に血液から発見されたためそう命名されただけで、実際は体のなかの体液はもとより、臓器や筋肉などのすべて、爪、歯、骨にいたるまで全身にいきわたっているのです。
 体内の血液型物質の分布を見ると、実にさまざまな器官に分泌し、特に胃や腸には赤血球表面よりずっと多量に含まれているのです。「血液型」という名称に惑わされて、本来の「血液型物質」の役割についての認識ができていないのではないでしょうか。


【『血液型の科学 かかる病気、かからない病気』藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉(祥伝社新書、2010年)以下同】

 吃驚仰天した。テレビでやっている星座・血液型占いを批判するのが知的な振る舞いだった。確か1980年代以降のことだ。外国人からの指摘があったように記憶している。日本人は特定の信仰を持たない一方で、何でも信じてしまう脇の甘さ(あるいは度量の広さ)がある。異国の神を平然と受け容れる文化的土壌があるのは日本くらいなものだろう。八百万神(やおよろずのかみ/『古事記』)とはよく言ったもので、AKB48なんぞ足元にも及ばない。

「血液型は初め血液の型として出発したのでこの名があるが、その後の研究において血液のみに関わらず一個人の細胞、臓器、体液にはもちろん、毛髪などの硬組織にも分布する個人を血清学的に識別できる方法であることが分かっている」(ABO式血液型:Wikipedia)。

 血清学上の「型」があるなら、それは抗原・抗体・免疫反応の「型」と見なしてよい。つまり、かかりやすい病気、陥りやすい症状があるわけだ。このような肉体的反応が性格に影響を及ぼすことは十分考えられる。

 学問の世界では、血液型と性格の関係への言及がタブー視されています。
 これは、第一次世界大戦中のドイツで、ナチスユダヤ人迫害のスローガンとして「純粋なアーリア人の血をユダヤの血で汚すな」と、血で人が異なることを主張したことに関係があると思います。

 日本文化の場合、「氏より育ち」といって血筋よりも環境を重んじる色合いが濃い。例外は天皇陛下だけではあるまいか。

 日本人はA型38%、O型31%、B型22%、AB型9%と、ほぼ4:3:2:1の割合になっています。(中略)
 しかし、世界を見渡してもこんなにうまい具合に血液型が分かれている国は、お隣の韓国を除いてそうないのです。国によって血液型の偏りが激しく、メキシコは8割以上がO型、アメリカはO型とA型で90%を占めています。逆にインドではO型が少ないのです。

「『血液型』という概念は1900年にオーストリアの医学者カール・ラントシュタイナー博士によって発見されました」(「なぜ血液型という分類が存在するの?」や「血液型ってそもそも何?」といった謎に迫る血液型に関するアレコレ - GIGAZINE)。

国別ABO・Rh式血液型割合

 藤田の指摘は曖昧で疑問が残る。中国はほぼ3:3:3:1である。他の国はAB型がかなり少ない。因みにAB型は一番新しい血液型とされている。

「血液型占い」を嘲笑うのは構わないが、血液型と性格の相関関係まで否定するのは底が浅い。