古本屋の殴り書き

書評と雑文

体の内部にある何か/『新版 合気修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年』木村達雄

『雷電本紀』飯嶋和一
『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『肥田式強健術2 中心力を究める!』高木一行
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『会津の武田惣角 ヤマト流合気柔術三代記』池月映
・『合気の発見 会津秘伝 武田惣角の奇跡』池月映
・『合気の創始者武田惣角 会津が生んだ近代最強の武術家とその生涯』池月映
・『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義津本陽
『深淵の色は 佐川幸義伝』津本陽
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄

 ・透明な力に癒される
 ・体の内部にある何か

・『佐川幸義 神業の合気 力を超える奇跡の技法』『月刊秘伝』編集部編
『剣豪夜話』津本陽
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

悟りとは

 20年前佐川先生に就いて、先生が亡くなるちょうど3年前に、佐川先生のことを書いた私の著書『透明な力』が講談社から出て、それから2年半ぐらいたったある時、やっと合気というものの糸口がつかめました。それは、結局ある意味で物質としての肉体を超えたところでもあるのですが、しかしそれは肉体を通さないと出来ない。
 そういうことがだんだんわかってきた。体を、たとえば毎日、四股を1000回、多い時だと10000万回、1日5時間くらいやって鍛えた。そういうものをずーっとやって14年ぐらいたった時に、いったい私は何を鍛えているんだろうと思ったのです。
 その時にハッと気づいたのです。鍛えているのは筋肉じゃないんだ、体の内部にある何かを鍛えているんだと。だから非常に肉体の波動に近いけど、肉体でない肉体というか、そこがどうも四股を踏むことで強化されているみたいだという感じがだんだんわかってきたわけです。
 合気はやはりそういうものを通さないと出来ないのかもしれない、それを表わす言葉がないので誤解されそうですが、強いて言えば、合気は意識の技術と言えるかもしれません。ここで技術と言っているのは、いわゆるエネルギーとしての“気”や催眠術の類とは本質的に異なるという意味です。筋力や気による力ではありません。しかし、意識の世界というのは非物質的ですから、普通ではそれは物質に影響を及ぼさないわけです。合気はそれを結びつける鍵のような感じなのです。

【『新版 合気修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年』木村達雄〈きむら・たつお〉(どう出版、2018年/旧版、2005年)】

「体の内部にある何か」とはまさしく「インナーボディ」であろう。ここではたと気づく。武術で重視される丹田仙骨、骨盤、肩甲骨などがいずれもインナーボディを志向していることに。古人はそれを「骨」と「肚」(はら)と表現したのだろう。「体」の旧字は「體」である。

「骨を豊かに感じる」と読めばいいだろう。合気が身体の内部操作であれば、「体の悟り」と言い得る。それを「意識の技術」とまで見抜いたところに木村の修行の凄まじさが窺える。この領域に達した僧侶が果たしてどれくらいいることだろう?

 見える世界は生であり、見えない世界は死である。体内の見えない力を発揮することは、生と死がつながり合った技なのだ。

 佐川の死後、木村は師が乗り移ったかのような不思議な体験をする。それまでできなかった技が突然できるようになったのである。そのような伝承の形があってもおかしくはない。