古本屋の殴り書き

書評と雑文

存在とは/『過去にも未来にもとらわれない生き方 スピリチュアルな目覚めが「自分」を解放する』ステファン・ボディアン

『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『人生を変える一番シンプルな方法 セドナメソッド』ヘイル・ドゥオスキン
『カシミールの非二元ヨーガ 聴くという技法』ビリー・ドイル

 ・存在とは
 ・マインドフルネスの限界

『瞬間ヒーリングの秘密 QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し』フランク・キンズロー
『すでに目覚めている』ネイサン・ギル
『今、永遠であること』フランシス・ルシール
『プレゼンス 第1巻 安らぎと幸福の技術』ルパート・スパイラ
・『われ在り I AM』ジャン・クライン

悟りとは

「存在」という言葉には、さまざまな呼び方があります。たとえば、スピリット、ソウル(魂)、仏性、心の内なる神、この「空」のスペースには、さまざまな言葉が貼られています。しかし実際に、この「存在」それ自身は何らの特性も持たないものです。それはすべての特性を目撃している、つねに現前する目撃者であり、あらゆる経験がそこで起きては消えてゆく、不変のスペース、すべての活動の背後でそれらを動かしているそれ自身が動かない(不動)もの、すべてのものの無限の源泉なのです。
 聞くもの、見るもの、味わうもの、触れるもの、感じるもの、考えるもの、これはすべて、ある特徴を持つものですが、観察の対象になりうるもの、経験です。したがって、それらを経験しているあなた自身ではありえません。いったい、このあなた、あるいは私というのは、何なのでしょう。あなたが、これこそ自分自身であると受け取っている「私」なるものは、実は自己イメージ、性格、特徴の集合であって、それを経験しているあなた自身ではありません。
 スピリチュアルな目覚めとは、経験しているあなた自身への目覚めです。それはつねに現前する目撃者、純粋な存在そのもの、つねにすべてに気づいている一者なのです。
 どのような言葉も、この存在の広大さ、巨大さを言い尽くすことはできません。またその神秘を言うこともできません。しかし、言葉は非常に便利な指示であり、月を指差すときの指の役目を果たします。指は月自身ではありません。この本で使ういろいろな言葉、「非-人格的な目撃者」「絶対的な主人公(または究極の主体)」「非時間的な存在」などは、あなたのスピリチュアルな百科事典に付け加えていただくためのものではありません。その目的は、あなたの思考を迂回し、直接あなたの心の中のすでに私が話していることを直観している場所を指し示し、そこでこうした言葉の真実に共鳴していただきたいからです。もし、この本を読み終えられて、以前よりも知識は少なくてもより真実に近くなっていると思われれば、こうした言葉はその役目を果たしたことになります。

【『過去にも未来にもとらわれない生き方 スピリチュアルな目覚めが「自分」を解放する』ステファン・ボディアン:松永太郎〈まつなが・たろう〉訳(PHP研究所、2009年/原書、2008年)】

ジーン・クライン」に師事したと書かれているが、多分、「ジャン・クライン」のことだろう。松永太郎の翻訳が悪いとは感じなかったが、人名がことごとくおかしな表記となっている。PHPの編集・校正にも問題があると思う。

 内容は文句なしだ。というよりは今の私にとってタイミングが合ったと言うのが正確だ。図書館から借りて読んだ後で直ぐ購入した。

 タイトルが冗長で尚且つ散慢な印象あり。

 既に書いた通り、非二元の扉を開くには、「自我」と「気づき」の違いを知ることだ。心身の状態に気づき、認識に気づき、感情に気づき、思考に気づく癖をつければよい。