古本屋の殴り書き

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会津藩の恨み/『厚田村』松山善三

『母』松山善三、藤本潔

 ・会津藩の恨み

『石狩平野』船山馨

 タミの顔は、憤(いきどお)りに、みにくく歪(ゆが)んでいた。
「いいか、聞け。わしは昔、長岡藩は小出島(こいでじま)の百姓の小娘だが、死んだお前の父(と)っつぁまは、会津藩士(はんし)だ。明治のはじめという奴もいるけれど、慶応4年、4月27日だ。忘れもしねえ、小出島陣屋奉行(じんやぶぎょう)、町野源之助(まちのげんのすけ)の配下で、官軍と戦って破(ママ)れた。それはいい。勝負は時の運、不運だべ。……そのあとが無惨だった。村に攻めこんだ官軍の犬畜生は、わしら百姓を皆殺しにした。わしの父母(ちちはは)、兄妹(あにいもうと)は、馬小屋に押しこまれて、村の衆、30人といっしょに焼き殺された。……わしは逃げた。足を斬られて、川にはまりこんでいたお前の父(と)っつぁま、津川半次郎をかついで走った。……その戦いが終って、世の中は変わったが、わしと父(と)っつぁまは、青森県のはずれ、竜飛岬(たっぴみさき)へかくれ住んで、傷の回復を待った。……それから、函館へ渡った。五稜郭(ごりょうかく)の戦(いくさ)だ。人間、運に見はなされたら、おしめえだべ。どんなにあがいても、浮かぶ瀬はねえ。……また、逃げた。そして、この厚田さ来た。
 世の中は、くるくる変っても、わしら、親の仇に頭さげるわけには、いかねえ。……新しい天地さみつけて、生きるべえ、この地に根をおろして、枝葉をのばすべえと、刀を捨てて、網を握った。……4人の餓鬼が産れたが、上の二人は、麻疹(はしか)で死んだ。まだ、墓もたっちゃいねえ。……それから20年、日清戦争とやらがおっぱじまった。兄さの儀平に召集令状が来た。父っつぁまは、怒り狂った。天朝の下で働くくらいなら、ぶっ殺して、海の魚の餌に呉れた方が良いと言ってな。……父(と)っつぁまは、兄さの儀平を連れて、千島さ逃げた。千島も、天朝の土地だと?……。糞ったれめ、たとえ天朝の土地でも、北のはずれの、また、はずれだ。そこまで、追っかけてくる物好きはあんめえ。……幸い、あっちには、良い漁場もある。一旗あげたら、わしれも呼ばれて行くつもりだった。
 ところが、その翌年、獲った昆布を根室(ねむろ)さ運んだ時、ばったり一人の男に出会った。小出島戦で、しのぎを削り、わしの父母、村の衆を焼き殺した、敵の大将、高倉八郎右衛門だ。……奴は、開拓使になって根室さ来てたんだ。父っつぁまは納沙布岬(のしゃっぷみさき)で、死の決闘を挑んだ。兄さの便りにゃ、こう書いてあった。……父っつぁまは、短い鳶口(とびぐち)」、八郎右衛門は、サーベルで、睨みあったまま、ひとときも、じっとしていたと。高潮をかぶって、父っつぁまも、八郎右衛門も、ずぶぬれ……。八郎右衛門が、潮風で眼のくらんだ父っつぁまの胸に、サーベルを突っこんだ時、父っつぁまの鳶口が、八郎右衛門の頭さ、柘榴(ざくろ)のように割って、二人は海に転げ落ちていったと。……いいか。軍治、お前の父っつぁまも、天朝に殺されたんだ。天朝には、恨みこそあれ、砂粒ほどの恩もねえ。たった1枚の紙きれで兵隊にゆくことはねえべ。……逃げろ、逃げるべし。セツと勝男は、わしが、いのちさ代えても育ててみせる」

【『厚田村松山善三〈まつやま・ぜんぞう〉(潮出版社、1978年)】

 再読。以下のamazonレビューを読んだため。

石狩平野』の亜流

 船山馨に『石狩平野』という長編があるが、非常に似ている。特にあり得ない偶然の積み重ねで構成されている点。陳腐の極み。(ははは

石狩平野』の後で直ぐ読んだ。40年振りなので内容はほぼ失念していた。

 題字:梅原龍三郎、装幀:高峰秀子という豪華な顔ぶれに気づかなかった。デコちゃんは松山の夫人。梅原龍三郎高峰秀子の頼みとあらば二つ返事で引き受けたことだろう。

 序盤からアイヌへの肩入れが明らかで、1970年代の知識人が左翼にかぶれていたのと大同小異の姿勢が窺える。もう一点注意が必要なのは、主人公セツの幼馴染で「戸田甚一」という男が出てくるが、これは創価学会第二代会長の戸田城聖〈とだ・じょうせい〉である。戸田は石川県の生まれだが、幼少期以降を厚田村で過ごしている。後に出版事業を手掛けているが、厚田村出身の子母澤寛〈しもざわ・かん〉とも親交があった。

 松山善三池田大作の熱烈なファンであり、『ああ人間山脈 フォーエバーセンセイ取材の旅』(潮出版社、1985年)という著作もある。で、創価学会系の潮出版社から刊行し、第二代会長まで登場するとなれば、創価学会が放っておくわけがない。組織ぐるみで大量購入するのは当然だろう。もちろん違法行為ではないが、自民党統一教会のような汚れた関係に映る。

 小説自体は決して悪くない。ただし、二十歳前後の時に覚えた感動は既に過去のものだ。序盤の展開が遅くてストレスが溜まる。更に、美人女優と結婚しておきながら、異常な性の嗜好(しこう)を感じた。「お前は変態かよ」と呻(うめ)いた。

「ははは」氏のレビューはやや牽強付会だ。確かに似たところはあるのだが、「パクり」と断定するほどではない。

 貧しい家に生まれた少女セツは、成長して芸者の道を選ぶ。戦争に翻弄されながらも逞しく生きた女性の物語である。

 上記テキストにある会津藩の恨みは割り引いて読むべきか。会津戦争については以下の書籍を推す。

『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

 そもそも松平容保〈まつだいら・かたもり〉を始め、会津藩尊王の最右翼であり、薩長を恨みこそすれ、皇室を憎むことは考えにくい。