・天皇の絶対的権威
・親子が一緒に暮らすこともままならなかった明治時代
・不遇は精神を蝕む
・気違い-マニア-虫-オタク
・人間的な手応え
鶴代は勢い込んで風呂敷包みをみねのほうへ押しやった。
「餅も蜜柑も、干柿も香煎も、それから砂糖もあるよ」
「へえ、ほんとか」
みねは声を弾ませて風呂敷包みをひき寄せた。
「まだあるよ。母ちゃんの着物、父ちゃんの着物と股引。旦那様と奥様のおさがりだよ。それから、これ」
鶴代は腰の巾着をとって、みねの手に握らせた。鈴が鳴った。
「2円50銭入ってる。あげるよ、母ちゃんに」
みねは巾着を押しいただいた。そうして、そのまましばらく顔をあげなかった。
蝗害で作物がほとんど全滅したあと、今日までみねたちがどうやって露命をつないできたのか、考えてみれば不思議なくらいであった。みねは口には出さなかったが、もう長いこと満足に食べ物を口にしていないようであった。
「お前のおかげで、思いがけなく正月がきた。有難いことじゃ」
みねは洟水をすすりあげた。
久しぶりで自分の家に帰ってきた解放感で、鶴代はじっとしていられなかった。ここは他人の家ではない。ここには束縛も制約もない。どんなに自由に振舞ってもいいのだ。【『石狩平野』船山馨〈ふなやま・かおる〉(北海タイムス、1967年連載/河出書房新社、1967、1968年/新装版、1989年/新潮文庫、1971年)】
奉公に出た鶴代が初めて実家へ戻る。そして、母親にお土産を渡した後で雪掻きをするのである。遊ぶのではなくして、家の仕事をするところに時代の違いが浮かぶ。
私はこの件(くだり)を読んで泣けて仕方がなかった。また、親子が一緒に暮らすこともままならなかった明治時代を恨みもした。日本の貧しい現実を思い知らされた。鶴代は下女として働いた給金の全部を母親に渡した。
そして、このお金はたまたま寄寓していた恩人に盗まれるのである。両親にとっては死ぬか生きるかの問題であった。何にも増して信頼が不信に変わった傷が深く心に刻まれた。
この人物は物語の後半で再び登場する。