古本屋の殴り書き

書評と雑文

反革命宣言補註 その一/『文化防衛論』三島由紀夫

三島由紀夫

 ・果たし得てゐいない約束――私の中の二十五年
 ・「反革命宣言」その一
 ・「反革命宣言」その二
 ・「反革命宣言」その三
 ・「反革命宣言」その四
 ・「反革命宣言」その五
 ・反革命宣言補註 その一

必読書リスト その四

反革命宣言補註

 革命が、それ自体弁証法的な産物であるとすれば、その革命が反革命を生み、反革命がまた革命を生むという現象を、またさらに唯物弁証法的に論証しようとするいき方と、もう一つは、それをただ一つの現象のリアクションとしてとらえ、さらにそのリアクションとしてとらえる普通の論理のとらえ方と、2種類あることは明らかである。
 というのは、革命に対する反革命の起り方を、革命に対する不可避的な一つの過程であって、その過程を通り越すことによってもっと大きな正反合という形で革命が進むというのが彼らの考え方であるとすれば、それを一つの現象の継起の法則としてとらえるとらえ方が一方には厳然として存在する。
 彼らの考え方には、自分たちに都合の悪い、あるいは法則からズレた事柄が現われると全てそれを自分の法則の例外、あるいは除外例として一括して、法則の神聖と普遍妥当性を守ることに精力を傾けるのが常である。除外例と例外のほうに、さらに打倒する論理の求め方をしてけば彼らの詐術はひと目で明らかになるのである。チェコ問題一つをとっても、ソヴィエトは自由を求めるチェコ国民の動きを反革命と規定するが、チェコの側からいえば、まさに自分たちの求めるものこそ真の革命の姿なのである。反革命という規定はファシズムという規定と同様に、敵に投げられた戦術上の用語として、彼らの間ではおそれられている。反革命の烙印を押されることは死に等しい。しかし、われわれ外側の人間には反革命という言葉は何の悪罵をも意味しない。

【『文化防衛論』三島由紀夫〈みしま・ゆきお〉(新潮社、1969年ちくま文庫、2006年)】

 本文は4ページで補註(ほちゅう)は13ページある。

「革命」の論理が「革命の連鎖」を生むとの指摘だ。ここに革命と改革の違いがある。改革は“よりよき方向”を目指すが、革命は“過去の否定”である。保守とは文字通り保守メンテナンスの保守と同義で、「守り維持する」ところに目的がある。何を守るのか? 「歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性」(「反革命宣言」その四)であり、象徴としての皇統=国体である。

 政治的な主張として賛否があるのはもちろん承知しているが、この前提を外して「日本」を論ずることに意味はない。すなわち、尊王を欠いた共産主義社会主義は断乎として否定されるべき代物で、政党として容認している方がむしろおかしいのだ。

 しかも彼らの根底には反日思想が明白で、むしろ反日思想の上に政治信条が乗っかっている風さえある。「日本が嫌いであれば出て行け」――これが常識的な訓告になろう。中国や北朝鮮に亡命して対日戦争を仕掛ければいいだけのことだ。

 現在に至っては左翼とは別に親中勢力なるものが存在する。これが政府与党に巣食っており、自らの権益のために易々(やすやす)と国益を損なう事態が横行している。更に世界経済フォーラムの意向に沿う形で移民政策の推進も行われている。

 このまま来年の参院選以降も自公政権が続くようであれば、日本の先行きには暗澹(あんたん)たる惨状が待ち受けているに違いない。