・果たし得てゐいない約束――私の中の二十五年
・「反革命宣言」その一
・「反革命宣言」その二
・「反革命宣言」その三
・「反革命宣言」その四
・「反革命宣言」その五
・反革命宣言補註 その一
二、われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、最終の代表者であり、且〔か〕つその精華であることを以て自ら任ずる。「よりよき未来社会」を暗示するあらゆる思想とわれわれは尖鋭に対立する。なぜなら未来のための行動は、文化の成熟を否定し、伝統の高貴を否定し、かけがえのない現在をして、すべて革命への過程に化せしめるからである。自分自らを歴史の化身とし、歴史の精華をここに具現し、伝統の美的形式を体現し、自らを最後の者とした行動原理こそ、神風特攻隊の行動原理であり、特攻隊員は「あとにつづく者あるを信ず」という遺書をのこした。「あとにつづく者あるを信ず」の思想こそ、「よりよき未来社会」の思想に真に論理的に対立するものである。なぜなら、「あとにつづく者」とは、これも亦〔また〕、自らを最後の者と思い定めた行動者に他ならぬからである。有効性は問題ではない。(※〔振り仮名〕を付け加えた)《初出『論争ジャーナル』昭和44年2月号》
バートランド・ラッセルは人間の世界観を根本から変革した理論として、「ダーウィンの進化論」「アインシュタインの相対性理論」「フロイトの無意識」の三つを評価した。
ただし、それは欧州世界での話だ。我々日本人にとって無意識は仏教の唯識でお馴染みだし、進化論についても日本人が驚愕したという言説を私は寡聞(かぶん)にして知らない。そもそも「創造神が人間を創った」という誤謬(ごびゅう)が日本にはなかった。
私はラッセルの評価を「持ち上げ過ぎじゃないのか?」と眉に唾(つば)した覚えがある。しかしその後、様々な書籍に触れる中で、「進化」という概念が西洋社会に及ぼした影響が侮れないことに気づいた。
ダーウィンが説いたのは淘汰圧に対する適応という自然選択であったが、進化=善と誤解する向きが現れた。共産主義者は「社会の進化」を声高らかに謳(うた)い、社会が不平等や抑圧から解放され、より公平で自由な形へと進化できるとする信念を持つに至った。既に常識となった、「科学的合理主義の強化」や「宗教的権威への批判」も左翼が主導したものだ。
一方では、「適者生存」という言葉を造語したハーバート・スペンサーが「社会ダーウィニズム」(社会進化論)を主張して、欧州白人による植民地主義や人種差別を正当化した。「進化していない者は劣等」と認めたのだ。ダーウィン自身が社会ダーウィニズムを支持しなかった。ダーウィンにとって進化とは変化の累積でしかなかった。
若き特攻隊員たちは「あとにつづく者あるを信」じて自らの命を花と散らした。それは、ただただ「日本を守るため」であった。日本の伝統と子孫と言い換えてもよかろう。その象徴が国体(皇統)なのだ。
革命とか進歩といった考え方は寒冷地帯から生まれたのではないか? アジアには一神教世界のように自然を敵視する眼差しがない。我々は自然の懐(ふところ)に抱(いだ)かれて、自然の恵みを享受しながら数千年の歴史を積み重ねてきたのだ。
「平等」を説く者に注意せよ。耳に心地よい甘言(かんげん)は日本の伝統を破壊するために発せられているからだ。