・『昭和の精神史』竹山道雄
・『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
・『見て,感じて,考える』竹山道雄
・文学者の本領
・ナチスという現象を神学から読み解く必要性
・人間としての責任
・『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』倉前盛通
・『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
・『ビルマの竪琴』竹山道雄
・『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
・『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
・『歴史的意識について』竹山道雄
・『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
・『精神のあとをたずねて』竹山道雄
・『時流に反して』竹山道雄
・『みじかい命』竹山道雄
・『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新
・『村田良平回想録 戦いに敗れし国に仕えて』村田良平
・キリスト教を知るための書籍
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
「普通のドイツ人は、あのようなことが行われていたことは知らなかったのでしょう。たまに噂できいても、まさかと思っていたにちがいありません。かりに知っていたとしても、反抗することは不可能でした。それはわれわれ日本人の体験から推しても分ります。むしろ外国人の方が報道されていたし、反抗することもできた。知りもせず反抗もできなかったドイツ人に罪があるとは思いません。もし罪があるとすれば、われわれすべてが人間としてあの事件に対して責任があります。私が願っているのは、人間共通の事実として謎を解きたいのです。けっしてドイツ人を傷つけるつもりではありません」
こういうと夫人も納得してくれた。そしてそれからは、あの当時の国内生活などを話してくれ、一緒に論議し検討してくれた。
このような罪とはじつにふしぎなものである。ドイツ人だから――と、すべての個人にむかって全体的問罪をすることは、あきらかにまちがっている。それは、かつてナチスがユダヤ人をユダヤ人なるが故に悪であるとしたのと、おなじことである。後に記す焚殺映画をパリで見たとき、フランス人たちは舌打ちをして「ああ、ドイツ人は!」といっていたいが、人間の因果欲望はしばしばじつに見当のちがった解釈を下して満足する。「ドイツ人」はそんな犯罪者ではない。
しかも、人間はある国民である以上、同胞のしたことについては知らぬ顔でいることはできない。法的には無罪だが、そこにはやはり連帯がある。それは合理的には説明がつかない、われわれ人間存在の根本にねざした根ぶかいものである。そして、人間としてはわれわれもまたナチスの犯罪に関して連帯である。
ドイツ人も大抵は、単純でナイーヴな、善良で親切な人々である。しかもなお、これはまことに言いたくはないことであるが、ドイツ人の中のある型の人には、無反省な自信過剰や力の盲信のようなものがあることも、否定できない。少数の人はじつに荒っぽい。これが素因となった部分もたしかにあったのだろう。
私はドイツに行って、一ころはこの問題で頭が一杯だった。それで、往来を歩きながらも、骨太で赤ら顔で鷹のような目つきをしてあたりを睥睨(へいげい)している人に行きあうと、その額にカインの印がついているような妄想がした。
そして思った――「ヨーロッパには、神もいるが悪魔もいる。日本には、ああいう神はいないが、その代り悪魔もいない」
【『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄〈たけやま・みちお〉:平川祐弘〈ひらかわ・すけひろ〉編(藤原書店、2016年)】
カインは聖書の創世記に登場する人物で、人類最初の殺人者として描かれている。「ヤハウェは彼を殺す者には七倍の復讐があることを伝え、カインには誰にも殺されないためのカインの刻印(英語版)をしたという」(Wikipedia)。これが「カインの印」か。
ヨーロッパ史は殺戮で血塗られている。十字軍と魔女狩り(森島恒雄)を思えば理解しやすい。ウェストファリア条約によって近代国際法が整備されたのも戦乱の帰結であった。
「連帯」なる言葉は左翼用語で好きになれないが、竹山は当時のエリートを意識したのだろう。責任の拡大解釈もまた左翼の常套手段であるが、「人間としての責任」を見据えたのは、やはり竹山自身がドイツで過ごした時期が長かったことによるものか。
第二次世界大戦以降の大量虐殺はスターリンによる粛清、毛沢東の文化大革命、ポル・ポトの虐殺など、いずれも社会主義国家で行われた。他にもイスラエルによるパレスチナ人虐殺、ルワンダ大虐殺、中国共産党によるウイグル人虐殺と続く。ホロコーストと民族浄化は人類の宿痾か。
キリスト教-共産主義の流れを全体として捉え、戦争と虐殺の根を抜くことが求められる。それを客観視できるのは欧州から見れば極東に位置する日本人であろう。アニメをきっかけにして惻隠の情が世界に広まればいい。