・『その調理、9割の栄養捨ててます!』東京慈恵会医科大学附属病院栄養部監修
・『その調理、まだまだ9割の栄養捨ててます!』京慈恵会医科大学附属病院栄養部監修
・『栄養まるごと10割レシピ!』料理・レシピ小田真規子、東京慈恵会医科大学附属病院栄養部監修
・『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
・『蘇るおいしい野菜 逆発想・永田農法の奇跡』飯田辰彦
・『永田農法・驚異の野菜づくり』飯田辰彦
・有機農法・自然農法の欺瞞
・『永田農法でコンテナ野菜』永田照喜治監修
・『永田農法はじめてでもできるおいしい野菜づくり』諏訪雄一監修
・『DVD だれでもつくれる永田野菜 全10枚』
・『道法スタイル 野菜の垂直仕立て栽培』道法正徳
・『ミミズの農業改革』金子信博
・『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン
私は有機農法や自然農法をもてはやす風潮に疑問を感じています。安全だ、自然に優しいなどを謳い文句にしていますが、果たしてそうでしょうか。他の章でも述べたように農業そのものが環境破壊の始まりです。どんな農業であろうと自然を破壊しないですむ農業はありえないのです。だからこそ遠慮しながらの農業でなければならないと思います。ところがどうでしょう。国までがその安全性が保証出来ないにもかかわらず、「有機農業者認定制度」などを設けて、有機農法を奨励しています。まず、第一に有機肥料そのものが安全なのかを問題にしなければいけない立場なのに、その安全性は問わず、できた農産物だけを「安全だ」というのは、誰が聞いてもおかしい話です。いったい誰のための何のための「安全」なのでしょうか。
無機が安全でなく、有機が安全だという言い方自体が極端なイメージ作りの産物だと思います。何度も繰り返すようですが植物は養分として窒素、リン酸、カリという三要素を水に溶けた状態で初めて根から吸収するのです。つまり、有機肥料であれ、化学肥料であれ、液肥の状態で吸収されているわけです。ですから私は効率よく吸収されるのでたくさん与える必要のない液肥を使っています。有機肥料であるなら、嫌気性発酵で作った液肥ならいいと思います。私は有機肥料そのものに反対しているわけではないのです。私が疑問を感じているのは有機肥料ならなんでも安全としている風潮に対してなのです。
「有機肥料」の原料のことを考えたことがおありでしょうか。有機肥料は牛糞(ふん)や鶏糞、あるいは豚の糞などの厩肥(きゅうひ)と植物性の堆肥(たいひ)などを混ぜて作られます。ところがこの原料自体が汚染されているのです。まず、厩肥。安全な厩肥を求めるのであれば、まずその餌(えさ)を問題にしなければなりません。ところがその餌そのものに問題があります。穀類や草の中に含まれる残留農薬や遺伝子操作農作物の混入、さらには本来その動物が食べない餌(牛に牛骨粉など)を食べさせる。さらには投与された成長ホルモン剤などの残留薬物。これらはノーチェックで厩肥にされます。実のことをいうと、こんなに有機ブームになる前は厩肥の処分にみな困り果て、産業廃棄物扱いでした。ところがこの有機肥料ブームでリサイクルと称して、これらの厩肥がもてはやされるようになったのです。
植物性の堆肥の場合、従来のような落ち葉を使った堆肥だけでなく、農業残滓(ざんし/農産物を収穫した後に残る葉や茎など)を原料としている場合もあります。こういったものは当然、残留農薬の心配をしなければいけないのです。しかし、これもまったくノーチェックです。中にはスギやヒノキなどのチップ(木っ端やおがくず)などが混ぜられる場合もあります。みなさんもご存知の通り、スギやヒノキは住宅の建材に使われるように腐りにくいものなのです。ところがスギやヒノキに消臭効果があるため、牛糞や豚の糞の臭い消しや寝床などにおがくず状態のものが使われ、それがそのまま厩肥として有機肥料の原料になっているのです。結果、肥料は十分に発酵しません。完熟していない有機肥料は土中でリグニンを生成し、根を傷める原因にもなります。また、落ち葉にしても大気汚染の進んだ場所で集めた落ち葉なら、排気ガスの残留物も心配しなければいかません。除草剤を使って枯らした葉が集められて混ざっていたらどうでしょう。
こういうことをチェックする機関がないばかりか、国自体も有機肥料を安全な材料だけで作るのが不可能なことは認めています。それなのに有機農産物を安全なもののように奨励しているのはなぜでしょうか。いったい誰のためでしょうか。また、これらの生産物に関しても有機農産物等表示ガイドラインというものがありますが、これもよくいえば信頼関係に基づくものであり、悪く言(ママ)えばあなたまかせなのです。有機農産物のシールのついた中国産の冷凍野菜まで大量の残留農薬が検出され、問題になりましたが、冷凍野菜は適用外というところをつかれたような気がします。つまり表示ガイドラインにそっての表示でなくても構わなかったのです。
有機肥料という言葉を「安全の証し」のように使うのであれば、まず肥料そのものの、その材料の安全性を問うべきであると私は思うのです。例(ママ)えそれをクリアしたとしても、大量使用は安全でないということを自覚すべきです。何度も繰り返しますが、どんな肥料でも使いすぎはよくないばかりか有害なのです。植物に吸収されなかった余剰分の肥料は土中に残留します。どうしても土壌が窒素過多になってしまいます。こういった土壌で育った野菜は硝酸塩が増える危険性があります。またリン酸分も残留しやすいので肥料障害を起こします。とくに有機肥料は固形物が多く、残留するのでコントロールするのが難しいことを前もって意識しておく必要があります。有機肥料にしても化学肥料にしても、作物の必要最低限の肥料を与えることが一番大切なこと、環境を大切にすることだと思います。
自然農法という言葉からは欺瞞(ぎまん)を感じます。農業という行為自体が自然ではないのです。そこに人間の手が加わった時点で、自然は自然とはもう呼べないと私は思います。その土地がもともと持っている生産力以上のものを得ようと思ったときにはもう、環境破壊の段階に至っているのです。【『食は土にあり 永田農法の原点』永田照喜治〈ながた・てるきち〉(NTT出版、2003年)】
「農業そのものが環境破壊の始まり」との一言がストンと腑に落ちる。特に農薬を多く使う水田は以前から環境にダメージを与えると指摘されてきた。
江戸時代のように屎尿(しにょう)をリサイクルできないのも同じ理由だ。薬や食品添加物が混じっているため、土壌を汚染してしまうのだ。
永田農法はスパルタ農法の異名を持つ。水や肥料・農薬を最低限にすることで野菜の生きる力を最大限に引き出すのだ。特に日本の場合、雨が多すぎて水っぽい野菜ができてしまう。ビニールハウスが雨水を制限する目的で使用されていることを初めて知った。畝(うね)の場合はマルチシートを使う。
先月から知人の市民農園の草取りを手伝っている。可能であれば、ここで永田農法を試してみたい。
本書には永田照喜治の基本的な考え方と、交流のある人々が紹介されている。ビジネス書としても一級である。